CHAPTER 06/1975〜1990

第2次ブームのはじまり

専門家の知識を書き込む(1975〜1990年)

専門家の頭の中のルールをの形で書き込めば、コンピュータも専門家のように考えられるのではないか。1980年代、この考えは工場や地下鉄で使われ、日本では「ブーム」と呼ばれた。資料を開くと、その陰にはいつも、ルールを集めて直し続ける手間があった。

011965〜1977・知識の力

知識の中に力がある

賢いコンピュータに必要なのは、上手な考え方か、大量の知識か。

1965年、スタンフォード大学に移ったファイゲンバウムらは、分子構造をすべて数え上げるプログラムDENDRALに、化学者が質量分析データを読む経験をのルールとして組み込み、候補を絞った。Nilsson(2010)の例では、14,715,813通りの構造が、データのルールで約1,284,792通りに、別の測定を加えると1つに絞られた。

右の図は、3種類の部品を6個並べる729通りを、ルールを足して絞るもの。知識が増えるほど、調べる数は桁違いに減る。

1970年の論文で3人は(訳)と書いた。1977年、ファイゲンバウムは専門家の知識をコンピュータに移す仕事を知識工学と呼び、(訳)とまとめた。

N残り ≈ N × r₁ × r₂ × … × rk
N
すべての候補数
ri
ルールiで残る割合(≈ は、ルール同士が関係しない時の目安)
知ってるつもりよく言われる話:国の白書(2016)にとある
元の資料では:専門家の経験をルールにした DENDRAL(1965年から)が先で、当事者は1993年の論文の題でDENDRALを(訳)と呼ぶ。どこからをエキスパートシステムと呼ぶかで、答えが変わる。

図が示すこと:4章のDENDRALは「全部作って、知識で合わないものを消す」だった。この章で変わったのは見方で、消す手順(考え方)は同じまま、専門家の知識を「もし〜なら」のカードにして1枚ずつ重ねるほど、残る候補は掛け算で減り、桁ちがいに少なくなる。だから賢さの元は、上手な考え方より、たくさんの知識だ(1970年の論文・1977年「知識の中に力がある」)。

021972〜1978・MYCIN

をつなぐ確信度

を含むルールを、どうやってつなぐのか。

1972年ごろから、スタンフォード大学のショートリフたちは、細菌による感染症の薬選びを医師に助言するプログラムMYCINを作った。医師の知識を、もし(検査の結果が〜)なら(菌は〜らしい)という形のルールで書き込んだ。ルールは初め約200、1978年には約500になった。

ルールには、どのくらい確かかを表す確信度(−1〜+1)がつく。条件が不確かなときは、ルールの確信度に条件の確かさを掛ける。開発者の本の例では、確信度0.7のルールで、条件の1つの確かさが0.6なら0.42になる。同じ結論を別のルールも支えるときは、下の式で足し合わせる。

右の図(医学ではなく自転車の例)で弱いルールを足すと、どんなに弱くても確信度は1に近づく。本は、この足し方を確率の理論ではなく直観で決めた、と書く。Nilsson(2010)が引く教科書は、ルールが増えると、ほかのルールの確信度も直す必要が出た、と書く。

合わせた確信度 =x+y(1 − x)
x
それまでの確信度
y
新しいルールが出した確信度(ルールの確信度 × 条件の確かさ。条件が2つ以上なら最も低い確かさ)

図が示すこと:ルールには確かさの数(確信度)がつき、条件が不確かなら掛け算で弱くなる。同じ結論を支えるルールを足すと、どんなに弱いルールでも確信度は1に近づいていく。この足し方は直観で決めた。

使ったルールの数と、合わせた確信度
031970年代・推論エンジン

前向きと後ろ向き

ルールがたくさんあるとき、機械はどのルールから使うのか。

専門家の知識をルールとして書き込み、答えとその理由を出すプログラムをエキスパートシステムと呼ぶ。ルールをつないで答えを出す部分は推論エンジン。MYCINを作った人たちの本(1984)は、つなぎ方を2つに分けた。前向き(データから)は、分かっている事実から、ルールを「もし」から「なら」へつなぐ。後ろ向き(ゴールから)は、確かめたいゴールから逆にたどり、足りない事実だけを聞く。MYCINは主に後ろ向きで、証拠を集めるプログラムとも呼ばれた。

右の図(自転車の例)で2つを比べよう。前向きは質問を全部してからルールを使い、後ろ向きはゴールに関係のある質問しかしない。

MYCINではルールの集まり(知識ベース)と推論エンジンが分かれていたので、医学のルールを抜いた空の入れ物EMYCIN(Eはempty)が作られ、税の計画などの相談システムにも使われた。

前向き:事実 → 結論  後ろ向き:ゴール → 質問
前向き
もし(条件)から、なら(結論)へ進む
後ろ向き
逆に「なら」から「もし」へたどり、足りない所だけ聞く

図が示すこと:前向きは分かっている事実を全部聞いてからルールをつなぎ、後ろ向きは確かめたいゴールから逆にたどって、足りない事実だけを聞く。後ろ向きは聞く質問がずっと少ない。

041970年代・説明

「なぜ?」と聞ける機械

機械の出した答えを、人はどうやって信じればいいのか。

MYCINの開発者は、初めから理由の説明を大事な目標にしていた。MYCINが質問した時、使う人はWHY(なぜ聞くの?)と入力できた。MYCINは、いま確かめている上のゴールと、そのゴールと質問をつなぐルールを示した。WHYを繰り返すと、さらに上へさかのぼる。HOW(どうやって分かったの?)と入力すると、使ったルールか、使う人自身がそう答えたことを示した。

右の図は自転車の相談。質問に答えながら「なぜ?」を何度か押そう。図の中に、いま確かめているルールのつながりが出る。

後ろ向き推論では、どの質問も、どれかのルールの条件を確かめるために出てくる。だから、理由をルールの鎖で答えられる。

なぜ? → 上のゴール + ルール どうやって? → ルール/答え
ゴール
いま確かめようとしている結論
鎖
ゴールから質問までのルールのつながり

本の第18章にWHYとHOWのやりとりの例がある。医学の例なので、図では自転車に置き換えた。

図が示すこと:後ろ向きにルールをたどる機械では、どの質問もどれかのルールの条件を確かめるために出てくる。だから「なぜ聞くの?」に、ルールの鎖で答えられる。

051974・フレーム

場面のひな形で知識を持つ

「誕生会」と聞いただけで、なぜケーキやプレゼントが思い浮かぶのか。

1974年6月、MITのミンスキーは報告で、人は新しい場面に出会うと、記憶からフレームと呼ぶ構造を取り出し、細部を修正して現実に合わせる、という考えを出した。フレームは(訳)を表すデータ構造で、空き欄(スロット)を持つ。空き欄には、ふつうはこうだという値(デフォルト値)が、仮に入っている。報告は、子どもの誕生会に行く場面を例に挙げた。

右の図で、お話を1文ずつ読ませよう。書かれた値で空き欄が埋まり、書かれていない所は、デフォルト値でと考える。デフォルト値と違えば、紫色になる。

ミンスキーは、まとまった理論が(訳)書いたと断ったうえで、最後の節で(訳)と書いた。本人はフレームのシステムを作らず、数年後に学生たちが作った(Nilsson 2010)。

知ってるつもりよく言われる話:「第2次ブームのAIは、知識をの決まりや論理の式でたくさん書き込むもの」とひとまとめにされがち
元の資料では:同じ時期の有力な考え方の1つであるフレームは、ふつうはこうだという予想を持つひな形で知識を表そうとした。

図が示すこと:フレームは「よくある場面」のひな形で、空き欄にふつうはこうだという値が仮に入っている。話を読むと書かれた所が埋まり、書かれていない所はデフォルト値で「たぶん」と考え、違えば気づける。

061979・MYCINの成績

名前を隠して採点すると

機械の答えが良いかどうかを、どうすれば公平に確かめられるか。

1979年の評価では、髄膜炎の患者10人それぞれについて、10通りの処方を集めた。MYCIN、スタンフォードの感染症の先生5人、感染症のフェロー、内科のレジデント(研修医)、医学生、そして実際の治療。それをスタンフォードの外の感染症専門家8人が、だれの処方か分からない形で1つずつ採点した(8人 × 100=800の採点)。

MYCINの処方は65%が(訳)とされ、先生5人は42.5〜62.5%(平均55.5%)だった。専門家の多数が受け入れた症例も、MYCINは10例中7例あった。右の図で、基準を切り替えて名前を出してみよう。

それでも作った人たちの本(1984)は、(訳)と書く。ふだん使う前に、専門家の多数から9割以上認められてほしい、とも考えていた。

知ってるつもりよく言われる話:「MYCINは専門医より正確だったのに、法律や責任の問題で病院で使われなかった」と言われがち
元の資料では:作った人たちの本が挙げる理由は、知識を足す費用と人員の問題、次の研究に移りたかったこと、そして何より(訳)こと。その多くは、使い勝手と手間の問題だった。

図が示すこと:だれの処方か分からない形で採点すると、MYCINの処方は先生たちと並ぶか、それ以上の評価を受けた。それでも、ふだんの診療には使われなかった。

071979〜1982・PROSPECTOR

倍率をかけて推し量る

地表の手がかりから、地下の鉱床をどう推し量るか。

SRIのPROSPECTORは、鉱物を探す地質の専門家に助言するAIで、1979年に東京の国際会議でも成績の分析が発表された。ルールは、結晶の形の空洞がある岩は硫化物がある印、硫化物の上に重晶石があれば塊状の硫化物の鉱床かもしれない、のようにつながり、推論ネットワークになっていた。

MYCINの確信度と違い、PROSPECTORは確率とベイズの規則を使った。専門家はルールごとに2つの数を出す。条件が正しいときにオッズが何倍になるか(LS)と、正しくないときに何倍になるか(LN)。右の図で手がかりを押すと、ネットワークをたどって確率が変わる(倍率はこのサイトが作った数)。

1982年には、マウント・トルマン(ワシントン州)の地図データから、モリブデンの鉱床の有望さを+5〜−5の地図にした。

オッズ ← オッズ × LS(はい)または × LN(いいえ)  確率 = オッズ ÷(1+ オッズ)
オッズ
起きる見込み ÷ 起きない見込み
LS・LN
専門家が決める2つの倍率
知ってるつもりよく言われる話:「PROSPECTORは人間が見つけられなかった鉱床を発見した」と言われがち
元の資料では:開発側の説明では、鉱山会社がすでに200を超える穴を掘って鉱床を見つけていた場所で、(訳)と(訳)を当てた。そして(訳)。開発側の1人の本だけで確かめた話。

図が示すこと:PROSPECTORは、手がかりが「はい」なら専門家の決めた倍率LSを、「いいえ」ならLNをオッズに掛けて、鉱床の見込みを推し量った。ルールの網をたどって確率が上がり下がりする。

081980・R1(XCON)

足りない部品に気づく

コンピュータの注文書から組み立て図を作るルールとは、どんなものか。

カーネギーメロン大学のマクダーモットは、DEC社のコンピュータVAXの注文から部品の構成を決めるR1(社内名はXCON)を作った。1台の部品は通常約90個で、注文書にはよく必要な部品が欠けていた。R1はそれに気づいて補い、配置図を作る。1980年1月からDECの工場でふだんの仕事に使われた。

R1は作業のメモを見て、条件に合うルール(決まり)をすべて探し、そのうち1つを実行することを繰り返した。1980年の論文でのルール数は772。1件の注文で平均1,056回ルールを実行し、計算時間は平均2.5分だった。右の図(部品とルールはこのサイトが作った例)で「1回まわす」を押そう。

① 条件のそろったルールを全部探す → ② 1つ選ぶ → ③ 実行してメモを書き換える → ①
作業のメモ
現在の作業(点検・配置・接続)と、分かっている情報

図が示すこと:R1は、作業のメモを見て条件がそろったルールを探し、1つ実行してメモを書き換える、をくり返す。そのくり返しの中で、注文書に足りない部品に気づいて補う。

091981・日本

例文をまねて訳す

文法の規則を書き尽くさなくても、翻訳はできるのか。

京都大学の長尾真は、それまでの機械翻訳には(訳)という矛盾があると書いた。そこで、人が外国語を学ぶように、英語と日本語で対になった例文をたくさん持たせる仕組みを出した。訳したい文に最も似た例文を探し、単語を入れ替えて訳す。この考えは、1981年10月のNATOの会議で発表する原稿に書かれた。その会議は、東京の第五世代の国際会議(10月19〜22日)の翌週だった。

原稿の例では、A man eats vegetables.(人は野菜をたべる。)という例文から、He eats potatoes. を、彼はじゃがいもをたべる。と訳す。manとhe、vegetableとpotatoが、類語辞書で近いからだ。Acid eats metal. はこの例文と近くないので、酸は金属を侵す。という別の例文が要る。右の図で試そう。

2015年の学会誌の巻頭文は、このから、大量の文章データや統計を使う翻訳の研究が進んだ、と書く。

知ってるつもりよく言われる話:「長尾真の1984年の論文が、例から訳す機械翻訳を始めた」と言われる
元の資料では:考えは1981年10月の会議原稿にすでに書かれていた。本になったのは1984年。

図が示すこと:訳したい文にいちばん似た例文を探し、類語辞書で近い単語を入れ替えて訳す。似た例文が無ければ訳せないので、例文を足すほど訳せる文が増える。

101982〜1986・日本

何回目のブームか

1980年代の日本で、AIの流行は、その時どう呼ばれていたのか。

国立国会図書館の全文検索では、1982年10月の雑誌にもうという文があった。翌月の同じ雑誌は、20年ほど前のブームをと呼んだ。1985年には、本に、国会で(いまは2回目のブームという意味)、雑誌の特集の題にとあり、数え方はばらばらだった。

きっかけも書き手ごとに違い、第五世代の計画、MYCINの成功、ファイゲンバウムの知識工学、AIを作るための道具が挙がった。ブームの最中からという冷ややかな声もあった。

1986年7月、700人あまりが集まって人工知能学会ができた。趣意書は、アメリカには1980年からAAAIがあるのにと書いた。右の図で、呼び名を1つずつ見よう。

図が示すこと:1980年代のAIの流行は、その時から「第一次」「第二次」「またやってきた」と、書き手ごとに数え方もきっかけもばらばらだった。

111984・期待と警告

同じ大会の、2つの部屋

ブームのさなか、売る人と研究する人は、同じ未来を見ていたのか。

1984年8月、テキサス大学オースティンでアメリカ人工知能学会(AAAI)の大会が開かれた。展示会場では、専門家の知識を組み込むAIツールTIMMのパンフレットが(訳)とうたい、エキスパートシステムは病気にならず、辞めず、早期退職もしない、と書いた。記者には、売る人たちの声が、ときに(訳)のように聞こえた。

同じ大会の討論「AIの暗黒時代」では、司会のマクダーモットが(訳)を挙げた。5年ほどの間に、アメリカの戦略的コンピューティング計画が失敗し、日本の第五世代も行き詰まり、新しい会社が倒産し、資金が途絶え、誰もが研究の名前を変える。これをと呼ぶ人がいる、と。右の図で年を進め、どの項目がいつ起きたかを見よう。

知ってるつもりよく言われる話:「1984年の討論はAIの冬をぴたりと予言した(当たった警告)」と言われがち
元の資料では:司会自身は(訳)と言っていた。筋書きの多くの部分はその後に起きたが、5年後に一度に全部、ではなかった。

図が示すこと:1984年の同じ大会で、展示会場は「もっといい脳を作った」とうたい、討論の部屋では「最悪の筋書き」が語られた。筋書きの多くはその後に起きたが、5年後に一度に全部ではなかった。

121983〜1984・常識

男の患者の「羊水」

ルールに書かれていないことを、機械は「おかしい」と気づけるか。

MYCINの本(1984)の注に、こんな話がある。ジョン・マッカーシーが(訳)、男性患者の検査材料(培養場所)を羊水と入力したところ、MYCINは間違いに気づかず受け入れてしまった。男性に羊水はないという誰もが知る常識が、ルールのどこにも書かれていなかったからだ。

マッカーシーは1984年の文で、MYCINは治療の後どうなるかの見通しを持たず、(訳)にも答えられない、と指摘した。Nilsson(2010)は、こうしたシステムの弱さを、もろい(brittle)という言葉で表現している。

右の図(自転車の相談)で、ありえない答えを選んでみよう。常識のルールを足せば気づけるが、答えの種類が増えると、両立するか確かめる組の数は急に増える。

確かめる組の数 =n(n − 1)/2
n
答え(事実)の種類の数。n=100なら4,950組、1,000なら499,500組
知ってるつもりよく言われる話:「マッカーシーがMYCINをからかった、という話がある(うわさ)」と伝わりがち
元の資料では:MYCINの開発者自身が、1984年の本の注にを出どころとして書いている。ただしマッカーシーの1984年の文には、この話は無い。

図が示すこと:ルールに書かれていない常識(男性に羊水はない)を、機械は知らないので、ありえない答えもそのまま受け入れる。常識のルールを足せば気づけるが、確かめる組の数は急に増える。

131985・予言

常識を百科事典1冊分

常識をすべて書き込むには、何年かかるのか。

1985年、テキサス州オースティンのMCCのレナートたちは、計画CYCを発表した。エキスパートシステムのと知識獲得の難しさを、大量の常識で乗りこえる試みだ。今後10年で、1巻の百科事典(約3万項目)の知識と、その土台の常識を書く。約400項目は自分たちで丁寧に書き、残りは大勢の入力者がコピーして直す。手間は(訳)ほど。10年ほどで届かないなら計画を大きく見直す、とも書いた。

2023年、レナートとマーカスはCYCを(訳)と呼び、知識ベースは数千万の手書きの主張からなり、40年・2,000人年をかけて作ったと書いた。右の図で年を進めてみよう。

ただし150人年は百科事典を入力する人の分、2,000人年は知識ベース全体の分で、計算の範囲は同じではない。常識をどれだけ書けば足りるかは、1985年にも、現在も分かっていない。

人年 = 人の数 × 年の数  2,000人年 ÷ 40年 = 平均50人
人年
1人が1年間働く仕事量

図が示すこと:1985年のCYCの計画は、10年・約150人年で百科事典1冊分の常識を書くつもりだった。2023年には40年・2,000人年をかけていた。ただし2つは数えている範囲がちがう。

141982〜1987・日本

翻訳ソフトと

ルールで訳す機械翻訳は、1980年代にどこまで使えたのか。

1982年度、国(科学技術庁)の機械翻訳の計画Muが始まった。科学技術論文の要約を日本語と英語の間で翻訳できると示す計画で、京都大学の長尾真たちが中心となって1986年まで続いた。文を解析し、構造を相手の言語の形に変換し、文を生成する3段階の文法と辞書を作った。

企業も翻訳ソフトを発売した(1984年に富士通のATLAS、1986年5月から日立のHICATS/JEなど)。1987年9月、箱根の機械翻訳サミットで長尾は(訳)と語った。利用者の(訳)という期待を(訳)と呼び、企業の大げさな宣伝も一因だと述べた。マツダは整備マニュアルの翻訳に使い、初め(訳)訳は40%だったが、富士通と調整して正しさを約80%にした、と報告した。

右の図で、専門用語の辞書を足してみよう。マニュアルの文は訳せるようになるが、ふつうの文の訳は変わらない。

知ってるつもりよく言われる話:「機械翻訳が実際の仕事に使われるようになったのは、ずっとあと(2010年代のディープラーニングによる翻訳)から」と思われがち
元の資料では:1987年の会議の記録では、日本で10社以上が翻訳ソフトを販売し、マツダのようにマニュアルの翻訳に使う企業もあった。

図が示すこと:ルールで訳す翻訳機は、分野の辞書を足すと、その分野の文(整備の説明書)は訳せるようになったが、ふつうの文はそのまま訳せない。どんな文でも訳せるというのは幻想だった。

151985・日本

歌に合わせて弾くロボット

人が少し高い声で歌い出したら、伴奏はどうやって合わせるのか。

早稲田大学の複数の研究室が、1980年に準備を始め、1981年から楽器を演奏するロボットWABOT-2を作った。何でもするロボットではなく、器用さと知恵が要るに目標を絞った。人と日本語で対話し、カメラで市販の楽譜を約15秒で読み取って、両手の指と両足で電子オルガンを弾く。自由度は合計50、動作の制御だけで53個の小さなコンピュータを使った。

歌に合わせる仕組みでは、歌声からその場で音符のデータを作り、記憶させた楽譜と比べてずれを見つける。ずれが一定の値(しきい値)を超えると、次の演奏で歌声に合わせて曲を移調した。音の高さは12進法で表し、上の桁がオクターブ、下の桁が半音を示す。全体をまとめる制御は、if-thenの形のルールで書かれていた。右の図で、歌う人のずれを動かそう。

半音の数 =12 × log₂(歌の周波数 ÷ 楽譜の音の周波数)
log₂
2を何乗するとその数になるか
周波数が2倍
1オクターブ(12半音)
知ってるつもりよく言われる話:「つくば万博でエレクトーンを弾いたのは早稲田大学のWABOT-2」と言われがち
元の資料では:開発者たちの1985年と1987年の論文では、科学万博の日本政府出展テーマ館で演奏していたのは、WABOT-2をもとに住友電気工業が作ったWASUBOTだった。

図が示すこと:WABOT-2は、歌声を音符のデータにして記憶した楽譜と比べ、ずれがしきい値を超えると、次の演奏で歌声に合わせて曲を移調した。

161965・ファジィ集合

「背が高い」は何cmから?

「背が高い人」の境目は、何cmだろう。

1965年、カリフォルニア大学バークレー校のザデーは論文で、(訳)のように境目がはっきりしない集まりを、要素がどのくらい入っているかの 0〜1の数(所属の度合い)で表した。論文は(訳)の例に、f(10)=0.2、f(100)=0.95などの値を挙げている。

計算のルールも決めた。「Aでない」は1 − f、「AまたはB」は大きい方、「AかつB」は小さい方。右の図で、175 cmで急に0から1になるふつうの集合と、なめらかなファジィ集合を比べよう。論文は、これは統計とはまったく別の考えだ、とも書く。

本人は1980年に、fuzzy(ぼやけた)という言葉には見下す響きがあると最初から分かっていた、とふり返っている。

Aでない:1 − fA AまたはB:max(fA, fB) AかつB:min(fA, fB)
fA
集合Aに入っている度合い(0〜1)
max・min
大きい方・小さい方

図が示すこと:4章では「背が高い」を0〜1の度合いで表した(ふつうの集合は175 cmで急に0から1、ファジィ集合はなめらかに増える)。ザデーの論文はそれを、数そのもの「1よりずっと大きい数」にも使い(f(10)=0.2、f(100)=0.95など)、さらに「でない=1 − f」「または=大きい方」「かつ=小さい方」で、あいまいな言葉どうしを計算できるようにした。計算してみると、ふつうの集合や確率ではありえない答え(「ずっと大きい かつ ずっと大きくない」が0にならない)が出る。度合いは確率とは別の考えだった。

171987・日本

地下鉄をファジィで止める

上手な運転士は、どうやって、ぴたりと止め、しかも揺らさないのか。

1987年7月15日、仙台市の地下鉄が開業した。日立製作所が開発した自動運転装置にはが使われた。同社の1988年の記事によると、これは次の3つを組み合わせたものだった。(もし〜なら〜の形)で書いたAI(知識工学)のルール、上手な運転士の技を置きかえるシミュレーション、複数の評価項目を0〜1の満足度で表してまとめるファジィ理論。乗り心地や停止位置の正確さ、省エネ性能が向上し、記事はと書く(作った会社の言葉)。

右の図は、同じ考え方の簡単な例で、仙台の装置そのものではない。ルールを1つだけ使う、複数のルールを混ぜる、先を予測して満足度の高いブレーキを選ぶ、という3つの方法で、停止位置の誤差とブレーキの変化(揺れ)を比べよう。

満足度 =min(止まる位置の満足度, 乗り心地の満足度)→ いちばん高いブレーキを選ぶ
止まる位置の満足度
先を予測し、目標に近く止まるほど1
乗り心地の満足度
ブレーキの変化が小さいほど1(この図での設定)
知ってるつもりよく言われる話:「ファジィは家電のはやりの言葉」と思われがち
元の資料では:家電より先に、1987年開業の仙台市の地下鉄の自動運転で使われていた。

図が示すこと:ルールを1つだけ使うとブレーキががくがく変わり、ルールを混ぜるとなめらかになり、先を予測して満足度の高いブレーキを選ぶと、ぴたりと止まり、しかも揺れが少ない。

時間ごとのブレーキの強さ
181980〜1990・予言の答え合わせ

「標準的な道具」は洗濯機に

ファジィの見通しは、どこで答えが出たのか。

1980年9月、ザデーは、ファジィ集合の理論が産業の工程制御から医療の診断まで使われ始めており、(訳)と書いた。期限の年は示していない。

7年後の1987年に仙台市の地下鉄が採用し、1989年には48社が国際ファジィ工学研究所(LIFE)を作った。1990年2月1日、松下電器が洗濯機「愛妻号Dayファジィ」を発売した。水の濁りが落ち着くまでの時間と、落ち着いたときの透過度から、などの 6つのルールで洗う時間を決める。この年の新語・流行語大賞の新語部門の金賞は「ファジィ」だった。右の図で、汚れの量と種類を変えよう。

洗う時間 =Σ(あてはまり × ルールの時間)÷ Σあてはまり
あてはまり
min(Tの度合い, Vの度合い)
T
濁りが落ち着くまでの時間
V
落ち着いたときの透過度

図が示すこと:ザデーが「遠くない将来に標準的な道具に」と書いた10年後、ファジィは洗濯機に入った。濁りが落ち着くまでの時間と透過度から、6つのルールを混ぜて洗う時間を決めた。

透過度の時間変化(曲線もルールもこのサイトが作った例)
191980〜1989・手入れ

ルールは増え続けた

ルールを組み込んだAIは、一度作れば終わりなのか。

R1(XCON)のルールは、1980年6月の772から増え続けた。DECが手入れを引き受けた時に約1,000、1982年7月ごろ約2,000、1984年に2,500となり、1989年には関連システムを合わせて17,500になった。DECが新製品を出すたびに、組み立ての作業そのものが変わっていったからだ。

1984年にDECの人たちが書いた記事によると、知識を追加し続けるのに毎年およそ4人分の仕事がかかり、手入れが(訳)で、特別に育てた人が要るという。同じ1984年、展示会場のパンフレットは、エキスパートシステムは辞めず、引退もしない、とうたっていた。

新しいルールは、それまでのルールと矛盾しないか確かめる必要がある。右の図で点を押すと、その時のルールの数と、2つずつの組の数が出る。

2つずつの組の数 =n(n − 1)/2
n
ルールの数。772なら297,606組、17,500なら約1億5,300万組
知ってるつもりよく言われる話:「XCONは毎年4,000万ドルを節約した大成功のAI」と言われがち
元の資料では:その数字は1989年のDECの人の論文にある(訳)という見積もりで、このサイトではNilssonの引用でしか確かめていない。1984年のDECの人たちの記事に金額はなく、手入れの手間が書かれている。

図が示すこと:XCONのルールは772から17,500へ増え続け、手入れに毎年およそ4人分の仕事がかかった。ルールが増えるほど、矛盾しないか確かめる組の数はとても大きくなる。

201977〜・知識を手に入れる

細い管をどう太くするか

専門家の頭の中の知識を、どうやってコンピュータに移すのか。

1977年、ファイゲンバウムは招待論文で、(訳)と書いた。ボトルネックとは、瓶の首のような一番狭い通り道のことだ。聞き出す手間が小さかった例もある。肺の検査の診断プログラムPUFFは、専門家との50時間足らずのやりとり、10人週足らずの手間で、55のルールを作った。

同じ論文は、管を太くする道の1つとして、構造の分かっている分子の測定データからルールを自動で見つけるプログラムMETA-DENDRALを紹介した。見つけたルールは、専門家のルールに並ぶ質だったという。右の図は、答えのついた例からを1つずつ見つける、一番単純なやり方だ。

人が書いたルールには、手入れの手間がかかり続けた。データから学習する道は、8章と9章で育っていく。

知ってるつもりよく言われる話:「第2次ブームのAIは、専門家の知識を人が手で書き込むしかなく、データから学ぶのは第3次から」と分けて言われがち
元の資料では:ボトルネックを書いた1977年の論文そのものが、その答えの1つとして、データからルールを自動で見つけるMETA-DENDRALを紹介していた。

図が示すこと:専門家から知識を聞き出すのが細い管(ボトルネック)だった。その管を太くする道の1つが、答えのついた例からルールを自動で見つけること。1977年の論文がすでにそれを紹介していた。

おわりに

この章で、まだ分かっていないこと

専門家の知識をのルールとして書き込むAIは、化学、医学、鉱物、工場、翻訳、地下鉄、洗濯機へと広がった。けれど、まだ確かめられていない数や話がある。XCONの(訳)という見積もりは、何を利益と数えたのかが分からない。MYCINが法律や責任の問題で使われなかったという話を、だれがいつ最初に言ったのかも分からない。

1984年の討論の筋書きのうち、誰もが研究の名前を別のものに変える、が本当に起きたかは、このサイトではまだ確かめていない。ザデーの見通しが、日本の地下鉄や家電のほかに、世界のどの分野でどこまで標準的な道具になったかも測っていない。そして、常識をどれだけ書けば足りるかは、1985年にも今も分かっていない。

次の章では、同じころ日本の国が始めた大きな計画、第五世代コンピュータを見る。推論することと知識を書き込むことを、専用のコンピュータで速くしようとした計画だ。