CHAPTER 07/1979〜1995

日本の第五世代

第五世代コンピュータの国家プロジェクトは、何を目指し、何を残したか(1979〜1995年)

1982年、日本は国として、推論(ルールから答えを導くこと)をたくさんのコンピュータで同時に進めて速くする、新しいコンピュータの計画を始めた。世界中がこれに反応した。資料を開くと、何を目標と見るかで、成功にも失敗にも見える。その仕組みを、動かして確かめる。

011946〜1981・名前

なぜなのか

コンピュータの「世代」は、何で数えていたのだろうか。

コンピュータは、使われている電子部品で世代を数えることがあった。1981年に日本情報処理開発協会(JIPDEC)が出した冊子は、第1世代(真空管)、第2世代(トランジスタ)、第3世代(IC)、第3.5世代(LSI)、第4世代(超LSI)と整理した。そして、当時は第4世代の幕開けであり、そのほとんどは1946年にフォン・ノイマンが示したノイマン型の仕組みに従っている、と書いた。

ノイマン型は、命令もデータも同じ記憶装置に置き、命令を1つずつ取り出して順番に実行する。冊子は、この構造の弱点を超える第5世代が必要だ、と訴えた。右の図で世代の箱を押してみよう。第5世代だけ、部品がとされ、中身が(推論・知識ベース・知的インタフェース)になっている。部品の違いではなく、考え方の世代交代だった。

プロジェクトに向けた調査は、1979年度に始まった(委員長は東京大学の元岡達)。同じ1979年8月には、第6回国際人工知能会議(IJCAI)が東京で開かれた。それまでの5回の開催地は、ワシントン、ロンドン、スタンフォード、トビリシ、ケンブリッジだった。

図が示すこと:第1〜4世代は『使う部品』で数えたのに、第5世代だけは部品ではなく『何をする機械か(知識で推論する)』で名づけられた。考え方の世代交代だった。

021981・目標

目・耳・口があり話がわかるコンピュータ

1981年、第五世代はどんなコンピュータを目指すと書かれていたのか。

1981年11月のJIPDECの冊子は、第5世代コンピュータがと書き、(試作機を作る)には早く研究を始める必要があるとした。目指す姿として 8つの機能を挙げている。音声や画像を直接扱う、自然な言葉で話せてになる、常識を持って推論で問題を解くコンピュータなどだ。

右の図は、を3つの段階に分けて小さく作った例だ(① 言い回しを論理の問いに直す、② 推論する、③ 知識を探す)。言い回しが少し変わるだけで ① で止まってしまう。また「年上?」という質問には、親は子より年上だという常識が登録されていないと答えられない。

1993年の最終評価報告書には、音声や画像を知識として扱うには、膨大な背景知識を蓄積して整理する必要があると研究の途中で分かった、と記された。

知ってるつもりよく言われる話:第五世代は10年で人間のように話せるコンピュータを作ると約束した
元の資料では:1981年の文書には、たしかにと書いてある。ただし所長の渕一博は1992年に、1982年に実際に始まった計画では、機械翻訳のような応用システムの開発は目標から外し、推論する機械の研究に絞っていたと語っている。どの年のどの文書を見るかで、掲げられた目標は異なる。

図が示すこと:1981年の文書が描いた『話がわかるコンピュータ』は、言い回しが少し変わるだけで止まり、だれでも知っている常識が無いと答えられない。だから計画はのちに推論の機械づくりに絞られた。

031981〜1995・研究所

会議から研究所ICOTへ

国のプロジェクトは、どんな人たちがどう動かしたのか。

1981年10月19〜22日、東京でが開かれた。主催側の冊子によると、15か国から約300人が集まった。

1982年4月、財団「新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)」が設立され、6月に研究所が研究を始めた。所長には電子技術総合研究所から渕一博が就いた。研究者は、電子技術総合研究所・日本電信電話公社・コンピュータ会社8社から派遣された約40人で始まり、原則3〜4年で入れ替わった。資金は全額、通商産業省の委託費だった。

右の図は、研究所の席と入れ替わる人を表している。内田俊一(2005)は、延長を含む13年間にICOTへ出向した人を約200人と書いている。40席が3〜4年ごとに入れ替わると、ほぼその数になる。

通り過ぎた人 ≈ S ×(1+(T − 1)÷ L)
S
席の数
T
年数(13)
L
1人が在籍する年数(3〜4)

図が示すこと:約40の席に3〜4年ごとに人が入れかわったので、13年で約200人が研究所を通り過ぎ、その人たちが会社や大学へ戻っていった。

来た人の累計(年ごと)
041972〜1984・論理プログラミング

事実と規則で答える

プログラムを書くとは、手順を書くことだけなのか。

1972年、マルセイユのコルメラウアーとルーセルは、論理の文を並べるとそのままプログラムになる言語Prologを作った。共に考えたコワルスキーは、その夏に(訳)と振り返っている。

Prologでは計算の手順ではなく、事実(たろうは はなこの親)と規則(XがYの親でYがZの親なら、XはZの祖父母)を書く。問いが来ると、コンピュータは規則を上から試し、合わなければ戻って次を試す(後戻り)。右の図で「1歩」を押してみよう。

第五世代は論理プログラミングを中心に置いた。Nilsson(2010)によると、のちにICOTの次長になる古川康一が、1970年代にSRIでPrologを知り、処理系を日本に持ち帰った。渕一博は1984年、Prologを選んだことにますます確信を持っている、と語った。

祖父母(X, Z) ← 親(X, Y), 親(Y, Z)
X, Y, Z
変数
←
右がすべて成り立てば、左も成り立つ

図が示すこと:Prologでは手順を書かず、事実と規則を並べるだけ。問いが来ると機械が規則を順に試し、合わなければ戻って別の道を探して答えを見つける。

05論理プログラミング・単一化

形を合わせる:単一化

問いと規則が「合う」とは、どういうことか。

Prologが規則を使う前に必ずするのが単一化。問いと規則の頭(←の左側)の形を先頭から見比べ、変数(中身の決まっていない箱)に値を入れて同じ形にできるか調べる。親(X, はなこ)と 親(たろう, Y)は、Xにたろう、Yにはなこを入れると同じになる。親(X, はなこ)と 親(たろう, じろう)は合わない。

右の図で「1歩」を押すと、見比べている所が紫に光る。点(X, X)では、先にXに入れた値が、あとの見比べにも効く。Xとf(X)のように、変数を自分自身を含む形に入れると、形が無限に続く。これを防ぐのが出現検査。

最終評価(1993)では、並列推論マシンPIMのプロセッサは、変数に入れた値のつながりをたどる(デレファレンス)専用命令を持っていた。

f(X, b)とf(a, Y) → X=a, Y=b
f
構造の名前
X, Y
変数
a, b
定数の名前
→
合わせるために変数に入れる値

図が示すこと:単一化は、2つの形を先頭から見比べ、中身の決まっていない箱(変数)に値を入れて同じ形にできるかを調べること。自分を含む形を入れると無限に続くので、それを止める検査がある。

061982〜1984・世界の反応

報告書の中の「日本」

世界は、日本の計画に対抗して動いたのか。

東京の会議のあと、各地で大きな計画が動き出した。イギリスでは1982年3月に情報技術担当の大臣が委員会をつくり、同年の報告書で、政府・企業・大学が共同研究する5年・3億5千万ポンドの計画を勧告した。アメリカでは企業が集まって共同研究会社MCCを設立し、国防総省の研究機関DARPAは1983年10月にの計画書を発表した。ヨーロッパ共同体は1983年にESPRITを提案した。

ところが、文書の中での日本の書かれ方は、まるで違う。右の図の線の太さは、その文書での日本の書かれ方の強弱を示す。イギリスの報告書は本文の冒頭で、委員会発足のきっかけは(訳)だと書いた。ヨーロッパの提案書は注の中で例として1回触れるのみで、DARPAの計画書には日本も第五世代も一度も出てこない。

「日本側の見方(1995)」に切り替えると、1995年の通産研究レビューの書き方になる。どれも第五世代に触発されてできた計画だ、と記している。

知ってるつもりよく言われる話:世界は日本に対抗してAIの計画を始めた
元の資料では:イギリスの報告書は、きっかけが日本の発表だと明記した。一方、アメリカ国防総省の研究機関の計画書(1983年)には、日本も第五世代も一度も出てこない(議会を説得する空気としては大きかった、と歴史書は記す)。ヨーロッパの提案文書(1983年)でも、注の中に例として1回登場するだけだった。

図が示すこと:日本の計画のあと各地で大きな計画が始まったが、その文書の中で日本がどれだけ書かれているかはまるで違う。イギリスはきっかけと書き、アメリカ国防の計画書は0回だった。

071983・予言

本と予言の時計

日本の計画を、脅威として大きく描いたのはだれだったのか。

1983年、スタンフォード大学のコンピュータ科学の教授ファイゲンバウムと、AIの歴史の本も書いた作家マコーダックは、日本の計画を紹介する本を出した。本の一部を載せた雑誌記事で2人は、第五世代が一部でも成功すれば、日本は世界の情報産業で独走する、アメリカには対抗する国家計画がない、と書いた。多くのアメリカ人は疑っているが、この国の賭けが成功する見込みは思うより高い、とも述べた。歴史の本(Nilsson 2010)は、この本が研究予算を審議する議会の危機感を強めた、と書く。

2人は、アメリカ人に向けて(訳)と訴えるために書いていた。右の予言の時計で「いまの年」を動かすと、1981年の冊子、この本、1992年の所長の見通しが、それぞれ答えの出る年を迎え、その後が表示される。

アメリカ企業が集まったMCCについて、Nilssonは、初代社長が1987年に退任したころには、第五世代はそれほどの脅威と思われなくなっていた、と書く。

知ってるつもりよく言われる話:第五世代の脅威は日本が自ら誇大に宣伝した
元の資料では:日本の計画を大きな脅威として描いて広めた人の中には、アメリカのAI研究者自身もいた。この本は、アメリカに国の計画が無いことを問題にするために書かれていた。

図が示すこと:日本の計画を大きな脅威として広めた人の中には、アメリカのAI研究者自身もいた。予言には答え合わせの年があり、時が来ると結果が見える。

081982〜1995・お金

541億円か、569億円か

第五世代コンピュータに、国はいくら支出したのか。

1995年の通産研究レビューに載った表(出所は通商産業省の資料)によると、国が支出した予算は、1982〜1992年度の11年間で約541億円(前期83億円・中期216億円・後期242億円)だった。その後、1993〜1994年度の2年間の後継計画に約28億円が出て、合計で約569億円になる。1986年度からは、一般会計(ふつうの予算)に加えて、別枠の特別会計からも支出された。

右の棒グラフの「どこまで足すか」を動かしてみよう。1992年度で止めると541億円、1994年度まで足すと569億円になる。よく目にする「約540億円」(1993年の最終評価)と「570億円」(2017年の国会での発言など)の違いは、集計した期間の違いだ。海外の見積もりも、ボタンを押すと表示できる。

合計 =Σ(一般会計 + 特別会計)
Σ
年度ごとに足し合わせる
年度
4月から翌年3月まで
知ってるつもりよく言われる話:日本は第五世代に巨額の資金をつぎこみ、本当の額を隠していたと海外で見られていた
元の資料では:1982年のイギリスの報告は(訳)という見方を記したが、1993年の最終評価はと報告し、1995年の報告には年度ごとの内訳表が載っている。海外の見積もりは4億5千万ドル、5億ドル、8億5千万ドルとばらつきがあり、最大の数字は計画終了後に書かれた百科事典のものだった。

図が示すこと:『約540億円』と『570億円』の違いは、うそや隠しではなく、何年度まで足したかの違い。

091982〜1991・日本のブーム

逆輸入されたAIブーム

日本の第2次AIブームは、どこから来たのか。

(通商産業省の課が監修)は、たと書く。そして日本のブームは、第五世代と、そのとした。企業のトップがという神話のような考えで、上からAIの開発を命じた感じがある、とも書く。1985年の国会でも、AIはと説明されている。

言葉そのものは、いつから使われていたのか。国立国会図書館の全文検索で、デジタル化した本や雑誌を古い順に並べると、AIの意味で最も古い例は1982年10月の雑誌だった。にとある。右の図で「AIブーム」を検索すると、1978年と1981年のものが先に出てくる。本の著者名のA.I.ブームフィールドや、漫才のMANZAIブームから読み取った文字だ。文字列が一致しても、同じ言葉とは限らない。

知ってるつもりよく言われる話:日本の第2次AIブームは、日本発の第五世代で国内が盛り上がった
元の資料では:1991年に通商産業省の課が監修した白書によれば、日本のブームは第五世代と、その。

図が示すこと:日本の第2次AIブームは第五世代への海外の反響が『逆輸入』されて起きた。言葉を探すときは、文字が一致しても同じ意味とは限らない。

101984〜1988・所長の言葉

は反動を呼ぶ

計画のさなか、所長自身は何と言っていたのか。

所長の渕一博は、夢を大きく語るのを抑える言葉を何度も残している。1984年4月のアメリカの雑誌のインタビューでは、AIには長く懐疑的だったと語り、応用を最初の10年に期待するのは現実的でないと答えた。同じ年11月の基調講演でも、自分たちの枠組みはであり、それを確かめるのがこの計画だと述べて、には直接かかわらないとした。

1988年の講演では、この計画はと語った。国の研究計画が陥りやすい誘惑の1つにを挙げ、目標が高すぎて(または高すぎると誤解されて)反動を呼んだ例が歴史にある、と戒めている。

右は、この考え方を表した図(数値はすべてこのサイトの仮の値)。目標を控えめにしても、外で大きく伝わると、約束の年に期待が大きく落ちる。

約束の年の期待 = 力 −(目標 × 倍率が力を超えた分)。期待の下限は0。
力
期限までに達成できた成果
目標 × 倍率
世の中が受け取った約束
知ってるつもりよく言われる話:第五世代は、国が話せる・考えるコンピュータの夢を大きく語りすぎて失敗した
元の資料では:計画のさなかの所長本人の言葉は、過度な期待を抑えるものが多い。ただし同じころ、周囲で過大なイメージが広まっていたことは別の資料に記録されている(この章の02・07)。

図が示すこと:所長は計画のさなか、夢を大きく語るのを抑える言葉を何度も残していた。目標を控えめにしても、外で大きく伝わると、約束の年に期待が大きく落ちる。

111985〜1992・並列処理

仕事を分ける、つなぐ手間

コンピュータを512台にすれば、512倍速くなるのか。

第五世代の中心は、推論をたくさんのコンピュータで同時に進める並列処理だった。答えを探す場合分けの木を、枝ごとの仕事に切り分けて各台に配る。ところが枝の大きさはばらばらで、仕事を渡すたびにつなぐ手間もかかる。

右の図で台数を増やしてみよう。初めに順番に配るだけだと、早く終わって待つ台が出る。手の空いた台が残りをもらいに行くと、台数に近い速さが出る。それでも、一番大きい仕事1つより速くは終われない(木はこのサイトが作った例)。

最終評価(1993)は、論理のシミュレーションで 256台で166倍、問題によっては512台でほぼ500倍近く、と書き、仕事の配り方(負荷分散)を部品にまとめて配った。Nilsson(2010)は、並列の良さを生かし切るのは、向いた特別な問題の外では難しかった、と書く。

S(P)=T(1) ÷ T(P)
P
台数
T(P)
P台ですべてが終わる時間(渡す手間も含む)
S(P)
速さの倍率

図が示すこと:コンピュータを512台にしても512倍速くはならない。仕事の大きさがばらばらで、渡す手間もかかり、一番大きい仕事より速くは終われない。

台数と速さの倍率(どちらも2倍ごとの目盛り)
121985〜1992・GHCとKL1

データが来るまで待つ

何台ものコンピュータが同じデータを使うとき、順番をどう守るのか。

Prologを何台ものコンピュータで同時に動かすのは難しかった(Nilsson 2010)。渕一博の1992年の講演によると、中期のはじめに研究員の上田和紀がGHC(Guarded Horn Clauses)を提案した。これをもとに室長の近山隆がKL1を設計し、後期の研究はすべてKL1に統一された。

GHCの規則には見張り(ガード)がある。まだ値の無い変数を見る必要があると、仕事はそこで眠り(止まって待ち)、値が入ると起きる。見張りを通った規則に決めたら、戻ってやり直さない。右の図では、台1が数を送り、台2が足していく。台2は次の数が届かないと眠る。「作る側をなくす」と、すべてが眠ったまま止まる(デッドロック)。

最終評価(1993)によると、KL1で書いたOSのPIMOSの最初の版は約44,000行で、デバッガはデッドロックを自動で見つけられた(図は考え方を小さくした例)。

頭 :- 見張り | 体
見張り
選んでよいかの条件(値が無ければ待つ)
体
選んだあとの仕事

図が示すこと:何台もの機械が同じデータを使うとき、値がまだ無ければ仕事は眠って待ち、値が届くと起きる。作る側がいなければ全員が眠ったまま止まる。

131982〜1992・PIM

1秒に1億5,600万回の推論

推論の速さは、どう測り、どこまで速くなったのか。

第五世代は、推論の速さを LIPS(1秒あたりの推論回数)で測った。Nilsson(2010)によると、1980年代初めのコンピュータは1秒に約10万回で、日本はそれを1,000倍以上にしようとした。目標は1秒に1億回。

前期にはPrologを拡張した言語ESPと、単体で推論するマシンPSIを開発し、改良版を含めて約500台を研究に使った。中期の終わりに64台構成のMulti-PSI、後期に並列推論マシンPIMを開発した。最終評価(1993)によると、512台のPIM/pはピークで1秒に1億5,600万回、256台のPIM/mは1億5,300万回で、汎用の大型コンピュータの約100倍だった。

右の図は、この画面のJavaScriptでリストを逆順にする小さな問題(30個で推論496回)を解かせ、速さを測る。PIMの要素プロセッサ1台は1秒に30〜60万回処理した。右のつまみで、台数分を足した計算例とPIM/pの実績を比べられる。

LIPS= 推論の回数 ÷ 秒数
推論1回
規則を1回使うこと(このサイトの数え方)
知ってるつもりよく言われる話:第五世代は1,000台のコンピュータをつないだ推論マシンを作った
元の資料では:1台の機械として最大なのは512台のPIM/p。5つの型(512・256・256・16・16台)を合わせると1,000台を超える、というのが最終評価の書き方。

図が示すこと:推論の速さは1秒に何回規則を使えるか(LIPS)で測る。PIMは1秒に約1億5,600万回で、目標の1億回を超えた。

PIMの5つの型の台数
141992・定理証明

機械が未解決問題の一部を証明した

「そんな物は無い」ということを、コンピュータはどうやって証明するのか。

PIM上の定理証明プログラムMGTPは、最終評価(1993)によれば、カナダの数学者Bennettが出していた準群の未解決問題の一部を自動で証明した。256台で200倍以上の速度を出し、場合分けによる組み合わせの爆発を抑える工夫もした。渕一博は1992年、この証明器が法律の推論をするシステムの推論エンジンにも使われている、と話した。

準群の掛け算の表は、どの行にも列にも、各記号がちょうど1回ずつ現れる表(ラテン方陣)だ。右の図は、マスを1つずつ埋めて表を探し、行き詰まったら戻る。すべての場合分けが行き詰まれば、そんな表は存在しないという証明になる。x*x=xとx*y=y*xを満たす表は、3・5では見つかるが、4・6には存在しない(条件はこのサイトが選んだ例)。

x*x=x, x*y=y*x
x*y
行x・列yのマスの文字
先読み
入る文字がなくなるマスを早めに見つけて探索を打ち切ること

図が示すこと:マスを1つずつ埋めて行き詰まったら戻る探索を最後までやり、全部の場合が行き詰まれば『そんな表は無い』という証明になる。

151986〜1995・電子化辞書

意味の辞書を、人の手で作る

コンピュータに言葉の意味を扱わせるには、何が要るのか。

1986年4月、コンピュータに日常の言葉を扱わせる土台として、大規模な「電子化辞書」を作る「日本電子化辞書研究所(EDR)」の9年計画が始まった。単語と意味(概念)を結ぶ「単語辞書」、概念の上下関係を示す「概念辞書」、言葉のつながりの「共起辞書」、日英の「対訳辞書」などからなる。

右の図は、その考えを借りた小さな辞書だ。「あつい」(厚い・熱い・暑い)は、一緒に出る言葉の組で意味を選ぶ。組が無くても、概念を上にたどって(コーヒー → 飲み物)組があれば選べる。

現在の案内ページでは、日本語の単語約27万語、概念約41万、共起約90万句。最終評価も、言葉の外の知識を集めるのはICOTだけでは限界があり、EDRやアメリカのMCCのCYCに期待する、と書いた。

点 = 直接の共起があれば2、直接の共起がなく上の概念で共起があれば1、どちらもなければ0
共起
一緒に出る言葉の組
点の決め方
このサイト独自の配点

図が示すこと:コンピュータが言葉の意味を選ぶには、一緒に出る言葉の組と、言葉の上下の関係を人の手で大量に集めた辞書が要る。

161992〜1995・評価

「失敗した」は、どの物差しで?

第五世代は、成功したのか、失敗したのか。

1992年6月、成果を発表する国際会議FGCS'92のあと、新聞The Baltimore Sunの社説は、計画の(訳)と書いた。だがその会議の基調講演で、所長の渕一博はと紹介した。渕は、そうした評論の元は1981年の会議で語られた大きな像であり、1982年に始まった計画はもっと控えめな内容だったと説明し、成功だったと信じていると語った。

1993年の最終評価は、目標ごとに成果をまとめた。推論の速さの目標は超えたものの、音声や画像で人とやりとりする仕組みは作るところまで行かなかった。全体としてはた、とした。1995年の通産研究レビューは、製品にならなかったから失敗とする見方は計画の理念を十分に理解していない意見だとしつつ、ハードウェアの仕組みは将来の技術に使われないだろうと書いた。Nilsson(2010)は、成果の多くは現在では歴史的な意味しかないと考える人が多い、と書く。右の図で物差しを切り替えると、同じ計画の通信簿が変わる。

知ってるつもりよく言われる話:第五世代は失敗した(日本も認めた)
元の資料では:1992年の会議で所長は失敗を認めたのではなく、失敗だという評論の元は1981年の大きな像だと説明した。最終評価も目標ごとに分けて書かれている。作ったコンピュータやソフトウェアが世の中で普及しなかった点は、通産研究レビューも外部の研究者の本も指摘している。何を目標と見るかで、答えが変わる。

図が示すこと:第五世代が成功か失敗かは、何を目標と見るか(物差し)で答えが変わる。

171987〜1995・ダウンサイジング

専用機と、ふつうのコンピュータ

世界一速いコンピュータは、なぜ普及しなかったのか。

PIMの推論の速さは、汎用の大型機の約100倍だった。しかしNilsson(2010)によると、ふつうのワークステーションやパソコンまでもが高性能になり、PIMを上回った。通産研究レビュー(1995)も、ハードウェアの仕組みはダウンサイジング(小型コンピュータへの移行)などで将来の技術に使われないだろう、と書いた。

右の図で、ふつうの機械の伸び方を動かそう。専用機は作った時の速さのまま。100倍の差があっても、ふつうの機械が毎年1.5倍になれば約11年で追いつく(伸び方は仮の数)。

同じことはAI専用のLispマシンにも起きた。開発者の1人の回想では、SunなどのワークステーションでLispがよく動くようになり、専用機のよさが急に小さくなった。1991年の白書も、日本でAIに使うコンピュータはパソコンなどのふつうの機種が中心になった、と書く。

n=log(差)÷ log(G)
n
追いつくまでの年数
差
はじめの速さの差(100)
G
ふつうの機械が1年に何倍になるか

図が示すこと:100倍速い専用機でも、ふつうの機械が毎年速くなると何年かで追いつかれる。専用機は作った時の速さのまま止まっているから。

181992〜1995・その後

100本のソフトが飛んでいく

国の計画が終わる時、作ったものはどうなったのか。

第五世代の本体は、予定の10年から1年延長されて1993年3月に終了した。4月からはが2年間続いた。開発したソフトウェアは専用の並列推論マシンでしか動かなかったため、KL1をC言語に変換する言語処理系KLICを開発し、当時普及し始めた UNIXの並列マシンなどでも動くようにした。

ソフトウェアは「ICOTフリーソフトウェア」として無償で公開された。1992年6月のFGCS'92で71本、1993年6月に6本、1994年11月にKLICを含む7本、1995年3月末に16本を追加し、合計100本になった。著作権が国ではなくICOTに帰属するソフトウェアについて、研究の妨げとなる制約を取り払って公開した。国の予算による研究は、1995年3月にすべて完了した。

右の図で「1行翻訳する」を押すと、論理の規則が、一般的なプログラミング言語の繰り返し(for)や条件分岐(if)へ置き換わっていく。所長の渕一博は1992年、この計画で生まれた、世界の各地で芽をふくことを期待している、と語った。

知ってるつもりよく言われる話:第五世代は1982〜1992年の計画
元の資料では:本体は1年延長されて1993年3月(1992年度の終わり)まで続いた。その後2年間、成果をUNIXコンピュータでも動くようにして無償公開する計画が実施された。国の予算による研究がすべて終了したのは1995年3月。

図が示すこと:専用機でしか動かなかったソフトを、ふつうの言葉に翻訳してどこでも動くようにし、100本を無料で公開した。

おわりに

この章で、まだ分かっていないこと

第五世代について、まだ分かっていないことは多い。協力企業が負担した費用や人員は、国の表に入っていない。並列推論マシンが計画の終了後にどう使われたか、公開されたソフトウェアがどれだけ利用されたかも、このサイトでは確かめられていない。翻訳の語数など数値目標を記した1981年のは見つかっていない。アメリカで失敗という評判がどこから広まったのか(1992年のNew York Timesの記事など)も、記事を確認できていない。

成功か失敗かは、何を目標と見るかで答えが変わる。1981年の夢の像か、1982年に始まった計画か、社会で実際に使われたか。同じ計画でも、物差しを変えれば通信簿が変わる。所長自身が1988年に、高すぎる目標は反動を呼ぶと戒めていたことも、ブームのさなかの記録として残っている。

次の章では、第2次のブームが冷えていく中で、静かに育っていた芽を見る。1991年の白書は、日本は以前アメリカで見られたような冬を迎えなかった、と書いていた。(先生へ:この章は、情報Ⅱの(1)の歴史と、(4)の情報システムの開発につながる。くわしくは「先生へ」のページ。)