1991年3月20日 元で確認 食い違いあり 日本
1991年、国の監修の白書:日本は「以前米国で見られたようなAI『冬の時代』を迎えなかった」 『AI白書1991』 は、日本は以前アメリカで見られたようなAIの『冬の時代』 を迎えなかった、と記した。その理由は、利用者がAIの効果が上がる使い道を自ら見いだしたからかもしれない、としている(アメリカはすでに『冬の時代』 を経験済み、とも書く)。白書の調査(1989年12月〜1990年1月、7,084の事業所に送り1,844が回答)では、回答した事業所の37.8%(コンピュータを使う事業所では26.2%、379か所)がAIを導入していた。白書は、1988年調査の20.6%より17.2ポイント増えたと報告した。導入先の46.2%がエキスパートシステム(専門家の知識を書き込む仕組み)を、20.6%が機械翻訳を使っていた。
よく言われる話: 「第2次ブームのあと、日本も世界といっしょに冬になった」と思われがち元の資料では: 1991年に国が監修した白書は、日本はアメリカで見られたような冬を迎えていない、と記した。調査でもAIを導入した事業所の割合は1988年から1989年に増えていた(ただし回答した事業所の中での割合)。
分かっていないこと: 1991年より後に日本のAI利用がどう変わったか(冬がいつ来たのか、そもそも来たのか)は、この白書では分からない。調査結果も回答した事業所(送付数の26%)だけの割合であり、日本全体の割合ではない。
元の資料1件と確かめた所 食い違い: 日本の『第2次の冬』:1991年のこの白書は『アメリカで見られたような冬を迎えなかった』と書く。一方、2016年の総務省の白書は『1995年頃から再び冬の時代』と記している(別の記録)。書かれた年が異なり、1991年の時点ではまだ冬ではなかった、という読み方もできる。
AI白書1991 ── 人工知能の技術と利用 (通商産業省機械情報産業局電子政策課 監修、ICOT-JIPDEC AIセンター 編、財団法人日本情報処理開発協会 発行・1991・p.11第2部 第1章1.1(と 第1部の調査PD…・元の資料) 1986年7月24日〜2003年 元で確認 食い違いあり 日本
人工知能学会の会員数(1986〜2003年)──正会員は1993年、賛助会員は1991〜92年がピーク。賛助会員は2003年までに3分の1以下へ。学生会員は2002年まで増加傾向が続いた 人工知能学会の毎年の総会報告にのった会員数を並べると、正会員は1986年7月の設立時約600人 → 1988年2,554人 → 1990年3,625人 → 1993年3,893人(最多)→ 1995年3,269人 → 1999年3,044人 → 2003年2,789人。企業などが学会を支える賛助会員は、約30社 → 1988年100社 → 1991・1992年155社(最多)→ 1995年96 → 1999年65社 → 2003年49社と、ピークから3分の1以下に減った。一方、学生会員は増減しつつも増加傾向が続き、1988年の266人から2002年には539人になった。2003年の報告はこう書いた。会員数はここ数年少しずつ減っていたが、今年は約4%の大きな減少になった。企業の研究開発部門の縮小で正会員が減っただけでなく、これまで増加傾向が続いていた学生会員も減り始めた。
よく言われる話: 「冬の時代には、みんながAIの研究から離れた」と一まとめに言われがち
元の資料では: 学会の会員数を見ると、大きく減ったのはまず企業(賛助会員は1991・1992年の155社から2003年の49社へ)で、正会員の減少は緩やかだった(1993年の3,893人から2003年の2,789人へ約3割減)。学生会員は変動しつつも2002年まで増加傾向が続いた(1988年266人 → 2002年539人。2003年の報告も
『これまで増加傾向が続いていた』 と記載)。また、1991年3月の国の監修白書は
『以前米国で見られたようなAI「冬の時代」を迎えなかった』 と書いたが(
→ 1991年、国の監修の白書:日本は以前米国で見られ… )、学会の数値が減少し始めたのはその後だった(賛助会員は1993年の報告から〈155社 → 134団体〉、正会員は1993年のピーク後〈1994年の報告で3,712人〉)
分かっていないこと: 会員が減った理由について、学会の報告は2003年に『企業の研究開発部門の縮小』 と書くだけで、それより前の年の理由は書いていない。『AIという言葉が嫌われていて』 という回想とどれだけ関係があるかは、この数からは分からない(→ 1990〜2000年代に人工知能が嫌われたという… を参照)。
元の資料3件と確かめた所 食い違い: 賛助会員の単位表記が年によって『社』『団体』『名』と異なっている(1990年は『143名』、1993〜1995年は『団体』、1996年は『93名』と印刷されている)。この記録では同じ区分の会員として並べた
人工知能学会の毎年の総会報告(人工知能学会誌の『学会だより』『通常総会報告』、1988〜2003年) (人工知能学会・1988・PDF 1枚目 各年の『1. 事業報告 (1)〜(2)会員現況』。J-S…・元の資料) 「人工知能学会」設立総会報告(人工知能学会誌1巻2号pp.164-165) (北橋忠宏・1986・p.165予算案の説明の前の報告・元の資料) AI白書1991 ── 人工知能の技術と利用(通商産業省機械情報産業局電子政策課 監修) (通商産業省機械情報産業局電子政策課 監修、ICOT-JIPDEC AIセンター 編、財団法人日本情報処理開発協会 発行・1991・p.11第2部 第1章1.1・元の資料) 1990年2月1日 元で確認 日本
1990年、ファジィ制御の洗濯機が発売され、「ファジィ」が新語・流行語大賞の新語部門金賞に 松下電器が1990年2月1日に全自動洗濯機『愛妻号Dayファジィ』を発売した。光センサーで洗濯水の濁り具合を検知し、『飽和時間が長く、かつ透過度が低ければ洗濯時間をとても長くする』 (飽和時間は濁りが落ち着くまでの時間、透過度は光の通りやすさ)といった6つのルールで洗い時間を決める。このルールは家庭で集めたデータと技術者のノウハウから作成された。同年の『新語・流行語大賞』 で『ファジィ』は新語部門の金賞に選ばれた。主催者は、この洗濯機が家電にファジィ理論を応用した第1号でブームの火付け役となり、各社が入り乱れる大きなファジィの市場ができた、と説明している。
分かっていないこと: ファジィ家電がその後どれだけ売れたか(販売台数など)は確かめていない
元の資料2件と確かめた所 全自動洗濯機「愛妻号Dayファジィ」(NA-F50Y5)の紹介(日本ファジィ学会誌Vol.2 No.3、1990) (近藤信二, 木内光幸(松下電器産業)・1990・p.384 1. はじめに(と4. ファジィ推論による洗濯時間の決定…・元の資料) 『現代用語の基礎知識』選 新語・流行語大賞 第7回1990年 授賞語(主催者 自由国民社のページ) (自由国民社・1990・第7回1990年 新語部門・金賞・元の資料) 1989年〜1995年 元で確認 食い違いあり 日本
国際ファジィ工学研究所(LIFE):48社が集まり、国の後押しで「あいまいさ」 を扱う技術を6年間研究(1989〜1995年) 『あいまいさ』 を持つ情報を処理するファジィ理論を工学に応用するため、1989年に技術研究組合『国際ファジィ工学研究所(LIFE)』が設立された。コンピュータ企業だけでなく、自動車・鉄鋼・証券など48社(1989年度末には49社)が参加した。研究期間は約6年間、研究開発費は約50億円を見込んでいた(1991年の白書時点)。研究所には3つの研究室があり、ファジィ制御、ファジィ知能情報処理、ファジィコンピュータを研究した。2005年の振り返りによると、横浜の大桟橋近くの研究所に延べ66人の研究員が在籍し、1995年まで活動した。所長は6年間、寺野寿郎さんが務めた。
分かっていないこと: 実際にかかった費用の総額(1991年の白書は『研究開発費総額は現時点で約50億円が見込まれており』 と書くだけ)は確かめていない
元の資料2件と確かめた所 食い違い: 参加企業の数:48社(白書の本文・2005年の振り返り)と49社(白書の『平成元年度末時点』)。集計時点の違い。
AI白書1991 ── 人工知能の技術と利用(第3部 第5章 ファジィ理論の工学的応用プロジェクト) (通商産業省機械情報産業局電子政策課 監修、ICOT-JIPDEC AIセンター 編・1991・PDF 222枚目 第5章(と第1章の概要PDFの215枚目)・元の資料) [パネル討論] LIFEの残したもの ── 10年を経て振り返る(第21回ファジィシステムシンポジウム、2005年9月) (中村和男・山田耕一ほか(企画)、菅野道夫ほか(パネラー)・2005・p.286 Abstract, 1. はじめに, 2. LIFE研究…・本人の後の回想) 1987年7月15日 元で確認 日本
仙台市の地下鉄が開業し、列車の自動運転に「予見ファジィ制御」 (あいまいさを扱うルールのAI)を使う 1987年7月15日に仙台市の地下鉄(全国で9番目の都市地下鉄)が開業した。日立製作所が開発した自動列車運転装置は『予見ファジィ制御』 を採用した。『IF〜THEN〜形式』 (もし〜なら〜する、という形)で書いたAI(知識工学)のルールで、熟練運転士の技を置きかえるものだった。記事は、乗り心地や停止精度の向上、省エネが実現したと書き、この予見ファジィ制御を『世界で最初のもの』 と紹介している(作った会社の記事の言葉)。
よく言われる話: 「ファジィは家電のはやりの言葉」と思われがち元の資料では: 家電より先に、1987年に開業した仙台市の地下鉄の自動運転で使われていた。開発した会社は『IF〜THEN〜形式』 (もし〜なら〜)のAI(知識工学)のルールとして説明している(第2次ブームの知識を組み込むAIの一つとして書かれている)。
分かっていないこと: 『世界で最初』 は作った会社の記事の言葉であり、ほかの資料では確かめていない。
元の資料1件と確かめた所 仙台市地下鉄の鉄道トータルシステム(日立評論Vol.70 No.7、1988年7月、小特集 交通システムの新しい技術) (佐藤憲(仙台市交通局)、大島弘安・川畑真一・関野真一(日立製作所)・1988・p.27要旨・1緒言(と4.3列車運転システムPDFの …・元の資料) 1985年9月9日〜1994年 元で確認 日本
雑誌『日経AI』 の歩み(1985〜1994年)── 2週間ごとの専門誌が、1992年4月に題名から『AI』を外して『日経インテリジェントシステム』 となり、1994年10月に休刊 日経BP社は、AI(人工知能)の専門誌『日経AI』 を1985年9月9日の『創刊前特別1号』から出し始めた。1986年1月6日の1号からは、2週間ごと(隔週刊)に発行した。1990年からは季刊の『日経AI別冊』 も出た。だが150号(1992年3月23日)のあと、151号(1992年4月6日)から誌名が『日経インテリジェントシステム』 に変わり、題名から『AI』の文字が消えた。そして211号(1994年10月3日)を最後に休刊した(別冊も1992年に『日経インテリジェントシステム別冊』 に変わり、1992年秋号で休刊)。第2次ブームの中で生まれ、1990年代初めに題名を変えて休刊した雑誌の記録である。
よく言われる話: 「日本では1990年代、『AI』という言葉が嫌われた」という話は、このサイトで見つけた範囲では2023年の研究者の回想(
→ 1990〜2000年代に人工知能が嫌われたという… )が元である
元の資料では: 当時の記録として、AIの専門誌
『日経AI』 が1992年4月に題名から『AI』を外し、
『日経インテリジェントシステム』 に改称されていたことが国立国会図書館の書誌で確かめられる。ただし、題名を変えた理由は書誌には書かれていない(理由は未確認)。
分かっていないこと: 題名を『インテリジェントシステム』に変えた理由、休刊の理由、発行部数の推移は、このサイトでは確かめていない(雑誌の現物や当時の告知は開いていない)。
元の資料2件と確かめた所 国立国会図書館サーチの書誌(SRU、dcndl形式):『日経AI : Nikkei artificial intelligence』(R100000002-I000000043735)と『日経AI別冊』(R100000002-I000000074517) (国立国会図書館・2026・書誌の巻次年月次(volumeRange)・刊行頻度・注記・元の資料) 国立国会図書館サーチの書誌(SRU、dcndl形式):『日経インテリジェントシステム』(R100000002-I000000082951)と『日経インテリジェントシステム 別冊』(R100000002-I000000083064) (国立国会図書館・2026・書誌の巻次年月次・注記・元の資料) 1992年〜2010年 元で確認 食い違いあり 日本
1990〜2000年代に『人工知能』 が嫌われたという話の元 ── 2023年の学会誌の回想(学会の改名の話まで出た)と、1996年の学会誌の『AIの冬』 『人工知能冬の時代』 人工知能学会誌は2023年、表紙の連作画でAIの歴史を描き、3枚目で『二度目の冬』(1992年頃〜2010年頃)を取り上げた。解説で松原仁さんは、当時はディープ・ブルーのような大きなニュースもあったが、AIという言葉が嫌われていて、AIのくくりとしては見られていなかったと振り返った。学会も会員や企業会員がどんどん減ってつぶれかけ、名前を変えることも考えられたという。谷口忠大さんは、人工知能を研究したくても『人工知能』 と言うと曲がって受け取られる時代で、2000年代はニューラルネットワークへの風当たりが強かったと書いた。同年11月号の座談会で松原さんは、『人工知能』 と書くと国の研究費(科研費)の審査に通りにくいという話もあったと語った。一方、同じ5月号の表紙絵の作者の解説では、この時期に研究者が『人工知能』 ではなく個別の専門分野を名乗るようになった理由を『研究分野自体の拡大から』 と説明している。さかのぼって1996年5月の同学会誌(設立10周年記念号)では、北野宏明さんが、『AIの冬』 『AIは,失敗だった』 という言い方が一部の報道で広まっていると書いた(ただしエキスパートシステムなどの成果は浸透しているとも書く)。そのうえで『AIの復権』 を目指すとした。企業に所属する庄子幹雄さんも『人工知能冬の時代』という言葉を耳にすることがあると書いた。同号の座談会では、新しい技術がAIと呼ばれなくても役に立てばよい、という意見も出されていた。
よく言われる話: 「日本でも1990〜2000年代、研究者は『AI』という言葉を避けた」と言われる
元の資料では: 元をたどると、もっとも明確に書いているのは2023年の人工知能学会誌における研究者の回想(松原仁さん・谷口忠大さん)である。当時の記録としては、1996年の人工知能学会誌に
『AIの冬』 『AIは,失敗だった』 『人工知能冬の時代』という表現が世間で聞かれると書かれている(北野宏明さん・庄子幹雄さん)。また1992年4月には専門誌
『日経AI』 が誌名から『AI』を外していた(
→ 雑誌日経AIの歩み(1985〜1994年)── … )。一方、2023年の同学会誌の解説は、研究者が専門分野名を名乗った理由を
『研究分野自体の拡大から』 とも説明している。学会の改名を検討した当時の記録そのものは、このサイトでは見つけていない。
分かっていないこと: 『人工知能』 と書いた研究費の申請が本当に通りにくかったのかを数えた資料は、見つかっていない。学会の改名の検討がいつ、どこで話し合われたのかという当時の記録も未確認である。
元の資料5件と確かめた所 食い違い: 『人工知能』 の名を掲げなくなった理由:2023年5月号の表紙絵の作者の解説は『研究分野自体の拡大から』 、同じ号の松原さんは『AIという言葉が嫌われていて』 。どちらか一つとは決めない。
表紙の解説「人工知能歴史絵巻」3(人工知能学会誌38巻3号、2023年5月、pp.440-443) (人工知能学会誌 表紙担当(コメント:岩澤駿・松原仁・谷口忠大)・2023・p.442 2. 解説(松原仁さん・谷口忠大さんのコメント)。岩澤さん…・本人の後の回想) 表紙企画 座談会:人工知能歴史絵巻の完成に際して(人工知能学会誌38巻6号、2023年11月、p.980〜) (榊剛史・井上昂治・山野泰子・山本祐輔・鳥海不二夫・岩澤駿・松原仁・杉本舞・谷口忠大・2023・PDF 8枚目 座談会の後半(谷口さん・松原さんの発言)・本人の後の回想) 人工知能の復権を目指して(人工知能学会誌11巻3号、1996年5月、設立10周年記念号) (北野宏明(ソニーコンピュータサイエンス研究所)・1996・p.384冒頭の要旨・元の資料) 産業界よりの人工知能研究への期待(人工知能学会誌11巻3号、1996年5月) (庄子幹雄・1996・p.389 1. グローバルな情報化と企業活動変革のなかで・元の資料) AI:過去・現在・未来(電子メール座談会、人工知能学会誌11巻3号、1996年5月) (古関義幸・長尾確・鷲尾隆・住田一男・堀雅洋・福原美三(司会 小林重信)・1996・PDF 7枚目 座談会の中ほど・元の資料)