CHAPTER 05/1966〜1980

第1次ブームのあとの冬

期待に届かなかった時代と、その間に育っていた芽(1966〜1980年)

研究費と期待がしぼみ、が来たと言われる時代。けれど資料を開くと、冬の来方は国ごとにばらばらで、その間に今のAIの芽が、日本でもたくさん育っていた。

011965〜1985・冬の天気図

冬は、同じ時に来たのか

アメリカ・イギリス・日本で、は同じ年に来たのだろうか。

は、1970年代に研究費と期待がしぼんだ時期の呼び名だ。けれど、何年から何年までかは資料によって違う。日本の総務省の白書(2016)は1970年代をとし、ネットのまとめは1974〜1980年とする。AIの歴史の本を書いたNilsson(2010)は、逆に1975〜1985年ごろをAIのと呼ぶ。

右の図は、3つの国の出来事を同じ年表に並べたものだ。アメリカでは1966年の機械翻訳の報告、1969年の国防予算の使い道の制限、1976年の話し言葉の計画の打ち切り。イギリスでは1973年のライトヒル報告。ところが日本では、1971年に国の大型プロジェクトが始まり、1972年のアソシアトロン、1979年のネオコグニトロンと、今につながる研究が続いた。

冬の帯を資料ごとに切り替えると、帯の位置が大きく動く。は、何を物差しにするかで変わる呼び名だ。

という言葉が初めて出てくるのは1984年だ。これから来るかもしれない冬を心配する言葉として使われた。1970年代をと呼ぶのは、後から付けた名前だ。

図が示すこと:「冬」がいつかは、資料が何を物差しにしたかで大きく動く。同じ年表の上でも、アメリカで冬と呼ばれる年に、日本では今につながる研究が次々に始まっていた。

021966・機械翻訳

ALPAC報告と機械翻訳の見込み

単語を1つずつ辞書で置き換えれば、翻訳はできるのか。

1966年、アメリカ政府の3つの役所の依頼で、全米科学アカデミーの委員会(ALPAC)が機械翻訳の研究を調査した。報告書は(訳)と書いた。

右の図で、文を1語ずつ辞書で置き換える最も単純なやり方を試してみよう。1つの単語に訳語が何通りもあると、文全体の訳し方の数は、訳の数の掛け算で増えていく。どれが正しいかは、文の意味とその場の状況が分からないと決められない。

ただし報告書は、研究をすべてやめろとは書いていない。言葉の仕組みの研究(計算言語学)と、人の翻訳を助ける道具には研究費を出すよう勧めていた。

訳し方の数 =n₁ × n₂ × … × nk
ni
i番目の単語の訳の数
k
文の単語の数
知ってるつもりよく言われる話:ALPAC報告が機械翻訳は無理だと切り捨て、研究を止めた
元の資料では:報告は、計算言語学と、人の翻訳を助ける機械の道具には予算を出すよう勧めていた。アカデミー自身が、報告の一部だけが読まれて研究費まで切られることを心配する添え状を前に付けていた。

図が示すこと:1語ずつ辞書で置き換えると、訳し方の数は掛け算で増える。どれが正しいかは、文の意味と場面が分からないと決められない。

単語の数と訳し方の数(縦軸は10倍ずつの目盛り)
031969・線形分離

線1本の壁

学習するパーセプトロンに、どうしても解けない問題はあるのか。

1969年、MITのミンスキーとパパートは著書で、1958年のパーセプトロン(入力に重みを掛けて足し、決まった値を超えたら「はい」と答える学習機械)の限界を数学で調べた。

最も単純な例がXOR(どちらか一方だけが1のとき1)。右の4つの点のうち、黒(答え1)と白(答え0)を直線1本で分けてみよう。ANDとORは分けられるが、XORはどう引いても分けられない。1段のパーセプトロンが引ける境界線は、この「線1本」だけだ。

「線を2本にする(層を重ねる)」を押すと、2本の線の間に黒を集めて分けられる。これが、層を重ねるとXORを学習できる理由だ(8章)。層を重ねた機械に広げても(訳)という見方は、本自身が(訳)と書き、確かめるべき課題としていた。

y=1(w₁x₁ +w₂x₂ +b>0のとき)、それ以外は0
x₁, x₂
入力(0か1)
w₁, w₂
重み
b
バイアス。w₁x₁ +w₂x₂ +b=0が境界となる「線1本」を表す
知ってるつもりよく言われる話:はニューラルネットワークではXORが解けない(だから役に立たない)と証明した
元の資料では:本が証明したのは、各部品が見る範囲を限った1段の機械の限界。層を重ねた機械が役に立たないという予想は、本の中でも直観的な判断だった。

図が示すこと:1段のパーセプトロンが引ける境目は線1本だけ。ANDとORは分けられるが、XORはどう引いても分けられない。線を2本にすると分けられる。

041969・学習法

学習しても、XORだけは解けない

パーセプトロンにXORを学習させ続けると、どうなるか。

パーセプトロンの学習法は、間違えたときだけ、正解の方向に重みを少し直すものだ。直線1本で分類できる問題なら、この修正を繰り返すと、いつか必ず誤りが0になる(パーセプトロンの収束定理)。

右の図は、4つの点を1周ずつ見せて学習させた例だ。ANDとORは数周で誤りが0になり、境界線が止まる。しかし XORでは、線がいつまでも行ったり来たりする。どこに線を引いても、必ずどれかの点が反対側に残るからだ。これが「線形分離できない」ということを、学習の側から見た姿だ。

w ← w+η(t − y)x
w, η
重みと学習率(イータ)
t, y
正解とパーセプトロンの出力
x
入力。間違えたとき(t ≠ y)だけwが更新される

1969年より前の1967年に、九州大学の甘利俊一は、誤差に応じて重みを少しずつ直し、最適な重みに近づける学習の理論を出していた。

図が示すこと:間違えた時だけ重みを直す学習は、線1本で分けられる問題なら必ず誤り0にたどり着く。XORでは線がいつまでも行ったり来たりして止まらない。

1周ごとの誤りの数
051973・組み合わせの爆発

1手ごとに枝が何十倍にも

「先を全部読む」方法は、どこで行きづまるのか。

ゲームやパズルを解くAIの基本は、打てる手をすべて並べ、その先もすべて並べて、最善の道を探すこと(探索)だ。三目並べなら、終局までの手順は全部で255,168通り。コンピュータならすぐに数えられる。

ところが、1手ごとの手の数(枝の数)が増え、読む深さが深くなると、並びの数は枝の数の「深さ乗」で増える。右の図で、枝の数と深さを増やしてみよう。もし1手に30通りずつあると、10手先まででも30の10乗、約590兆通りもの並びになる。

1973年のライトヒル報告は、AIがうまくいかない大きな理由として、この組み合わせの爆発に気づいていなかったことを挙げた。

並びの数 ≈ bd
b
1手ごとの枝の数
d
読む深さ(手の数)

数は「仮の数」。実際のゲームは手によって枝の数が変わり、別の順序で同じ局面にたどり着くこともある。

図が示すこと:1手ごとの枝の数をb、読む深さをdとすると、並びの数はbのd乗で増える。1手に30通りなら10手先で約59兆通り。全部読む方法はすぐ行きづまる。

深さと並びの数(縦軸は10倍ずつの目盛り)
061972〜1973・ライトヒル報告

A・B・Cの3つに分けた報告

イギリスの報告は、AIを全部だめと言ったのか。

イギリスで研究費を出す機関に頼まれ、流体力学の大家ライトヒルが、1人でAIの研究を見渡した。報告はAIを3つに分けた。Aは工場などの自動化、Cは脳や神経をコンピュータで調べる研究、そしてBは、ロボットづくりを中心にAとCをつなぐ橋渡しだ。

報告は、AとCにはそれなりの成果があるとした。厳しく評価したのはBと、何でもできるAIという目標だ。報告は(訳)と書いた。

右の図の上は、報告のA・B・Cの分け方だ。下は、報告にある予言の時計だ。報告が紹介した科学者たちの予言(1980年代・2000年)と、ライトヒル自身の見通し(これからの25年)を、年の目盛りに置いた。つまみで「いまの年」を動かすと、期限を過ぎた予言から色が変わる。

知ってるつもりよく言われる話:ライトヒル報告はAIを全否定した
元の資料では:報告はA(自動化)とC(脳の研究)には成果があるとし、日本政府による工場の組み立て自動化の計画を、Aの方向に沿った有望な例として挙げていた。

図が示すこと:ライトヒル報告はAIを全部否定したのではなく、A(自動化)とC(脳の研究)には成果があるとし、厳しく評価したのはB(橋渡し)と、何でもできるAIという目標だった。

071973・食い違い

討論はいつ行われたのか

同じ出来事の日付が、資料によって食い違う時はどうするか。

報告をめぐり、ロンドンの王立研究所で公開討論会が開かれ、BBCがテレビ番組として放送した。ライトヒルに対し、マッカーシー、ミッキー、グレゴリーが反論した。

ところが、討論の日付は資料によって食い違っている。2025年の技術雑誌の記事では5月9日、エジンバラ大学の録画のページには1973年6月とある。1982年の歴史家の論文の注では、討論が7月4日、放送が8月30日。当時のBBCの雑誌には、王立研究所での7月4日の予定と、9月初めの号と見られるテレビ評が載っていた。

右の図は、各資料がいつ書かれたか(当時か、何年も後か)を並べたものだ。このサイトでは、当時に近い資料がそろっている7月4日(放送は8月30日)を採用した。ただしBBCの番組表は見られていないため、確度は「まとめで確認」のままにしている。

日付を決める時は、どちらかに勝手に決めない。資料をすべて並べ、当時の資料か、後の資料かを見極める。

図が示すこと:日付が食い違う時は、どちらかに勝手に決めない。資料を全部並べ、当時の資料か何年も後の資料かを見て、当時に近い資料がそろう日を取る。

081971〜1976・話し言葉

目標達成でも打ち切られた計画

つながった話し言葉を、コンピュータはどうやって聞き取ったのか。

アメリカ国防総省(DARPA)は1971年から5年間、毎年約300万ドルを出して、つながった話し言葉を理解する機械の研究を支えた。目標は、1000語・多くの話し手・意味の誤り率10%未満など。1976年、カーネギーメロン大学のHarpyは1011語で意味の誤り率5%と、目標を満たした。

Harpyの工夫の1つがビームサーチだ。聞こえた音に合いそうな単語の並びをすべて調べるのではなく、評価の高い数本だけを残して先へ進む。右の図で、残す本数(ビームの幅)を変えてみよう。幅が狭いと速く処理できるが、正しい並びを途中で捨ててしまうことがある。

それでもDARPAは続きの計画に予算を出さず、話し言葉の研究を本格的に再開したのは1984年だった。

残す並び = 点数の高い順にW本
W
ビームの幅(残す本数)
点数
音と単語の合い方を足した値(ここではこのサイトが作った数)
知ってるつもりよく言われる話:1970年代の音声認識研究は失敗して打ち切られた
元の資料では:Harpyは、最初に決めた目標(1000語・意味の誤り率10%未満)を満たしていた。それでも続きの計画は出なかった。

図が示すこと:Harpyは、合いそうな単語の並びを全部調べるのではなく、点数の高い数本だけを残して先へ進んだ(ビームサーチ)。幅がせまいと速いが、正しい並びを途中で捨てることがある。

091971・日本

話す速さの違いをそろえて比べる

同じ「いち」でも、速く言ったり、ゆっくり言ったりする。どう比べる?

人は同じ言葉でも、話す速さがその時々で変わる。覚えておいた声と、いま聞いた声をそのまま時間でそろえて比べると、速さのわずかな違いで合わなくなる。

1971年、日本電気(NEC)の迫江博昭と千葉成美は、声の時間の伸び縮みを動的計画法(たくさんの道順から最も良いものを、途中の結果を使い回して効率よく探す計算)でそろえてから比べる方法を示した。右の図の表で、2つの声のどの時刻どうしを対応させるかの道を探す。道は左下から右上へ、右・上・斜めにしか進めない。

1971年の論文では、5人が話した1けたの数字2400回で、平均99.8%を正しく認識した。

D(i, j)=d(i, j)+min{ D(i−1, j), D(i, j−1), D(i−1, j−1) }
d(i, j)
声Aのi番目と声Bのj番目の違い
D(i, j)
そこまでの道で違いを足し合わせた最小値

今はDTW(動的時間伸縮法)とも呼ばれる。同じ考え方は、今の音声の研究や、データどうしの比較にも使われている。

図が示すこと:話す速さがちがう2つの声も、時間の伸び縮みを動的計画法でそろえてから比べれば、同じ言葉だと分かる。

101971〜1980・日本の国家計画

冬に始まったパターン認識の大計画

アメリカとイギリスで予算が削られたとき、日本では何が始まったか。

1971年、日本の通商産業省は、国の予算で進める大型プロジェクトにを加えた。文字や図形などを認識する(パターン認識)コンピュータを、電子技術総合研究所を中心に民間企業と開発する計画で、国会ではとも説明された。

認識の基本は、あらかじめ覚えておいた型と比べることだ。右の図で、文字に雑音を加えたり、位置をずらしたりしてみよう。型とそのまま比べると、少しずれただけで点数が下がる。ずらしながら比べると強くなる。この「ずれ」をどう扱うかが、後のネオコグニトロン(この章の12)につながっていく。

計画開始時の国会説明ではとされた。1985年の答弁によると、1971〜1980年度の委託費は約220億円だった。

計画の中身(どのような装置を作り、何ができたか)の報告書は、このサイトでは、まだ確かめられていない。

図が示すこと:アメリカとイギリスで予算が削られたころ、日本では国の大型プロジェクトでパターン認識が始まった。認識の基本は覚えた型と比べることで、少しずれただけで弱いが、ずらしながら比べると強くなる。

雑音の量と認識率
111972・日本

一部を見せると、全体を思い出す

記憶の一部から、全体を思い出すニューラルネットワークは作れるか。

1972年、東京大学の中野馨は、情報を0と1のパターンとしてネットワーク全体に分散して記憶し、一部を見せると全体を思い出す記憶の仕組みを発表した。同じ年、甘利俊一も、パターンをネットワークの安定した状態として記憶する理論を発表した。

右の図は、3つのパターンを記憶したネットワークだ。マスを押してパターンを消したり、見せる割合を下げたりしてから「思い出す(5回)」を押そう。見せる部分が大きいほど正確に、小さいとあいまいに思い出す。記憶するパターンを増やすと、別のパターンと混ざって間違え始める。

覚え方は、「同時に黒・同時に白なら、2つのますの結びつきを強く」。同時に反対なら弱くする。脳の神経の結合が、同時に活動するほど強くなるという考え(1949年のヘッブ)と同じ形だ。

wij =Σp xip xjp  xi ← 符号(Σj wij xj)
xi
i番目のマス(黒 +1・白 −1)
p
記憶したパターンの番号
wij
マスiとjの結合の強さ
知ってるつもりよく言われる話:連想記憶のモデルは1982年のホップフィールドが最初
元の資料では:10年前の1972年に、中野馨と甘利俊一が発表していた。京都賞(2025)は甘利のモデルをホップフィールドのモデルと数学的に同じとし、2024年のノーベル委員会の解説も参考文献に挙げている(本文では名前を出さない)。

図が示すこと:「同時に黒・同時に白なら結びつきを強く」と覚えたネットワークは、一部を見せるだけで全体を思い出す。詰めこみすぎると、別の記憶と混ざって間違える。

121975・日本

教師なしで組み上がるネットワーク

各細胞に「こう反応しなさい」と教えずに、ネットワークは育つか。

1975年、NHKの研究所の福島邦彦は、何層にも重なったニューラルネットワークが、教師(一つ一つの細胞の反応を細かく教える役)なしで自ら組み上がる仕組みを示し、と名づけた。

鍵は、細胞どうしの競争だ。論文の要旨によると、近くに自分より強く反応している細胞が無い時にだけ、その細胞へのつながりが強まる。右の図は、この考えを最も単純にしたもの。点が次々に現れ、いちばん近い細胞(色つきの丸)だけがその点へ少し近づく。繰り返すと、細胞たちは点の集まりの中心に分かれて住みつく。答えを教えていないのに、似たものどうしを受け持つようになる。

いちばん近い細胞kだけ:mk ← mk +η(x − mk)
x
入ってきた点
mk
細胞kの受け持つ場所
η
近づく速さ

コンピュータで試すと、深い層ほど広い範囲を受け持ち、最後の層の細胞は特定のパターンにだけ反応した。「勝った物だけが学ぶ」考え方は、のちのk-means(9章)にも通じる。

図が示すこと:細胞どうしが競争して、いちばん近い細胞だけが少し近づく。答えを教えていないのに、細胞たちは似たものどうしを受け持つように分かれていく。

131979・日本

位置がずれても、形で見分ける

字が少し右にずれただけで、機械は読めなくなってしまうのか。

1979年、福島邦彦はコグニトロンを発展させ、位置がずれたり形が少し崩れたりしても文字を認識できるニューラルネットワーク「ネオコグニトロン」を発表した。脳の視覚研究を手本に、形の特徴を捉える S細胞の層と、位置のずれを吸収する C細胞の層を何段も重ねた。

S細胞は、小さな窓で「角」や「線」などの特徴を探す。同じ面の細胞は同じ窓を、位置だけずらして持つ(今でいう畳み込み)。C細胞は、近くのS細胞のどれかが反応していれば反応する(今でいうプーリング)。右の図では、文字を中央から左右に1マスずらしても、選んだ枠のC細胞の反応は変わらない。枠をまたぐと、1マスでも反応が変わる。

2024年のノーベル物理学賞の解説は、今の画像認識AI(CNN)の源流として、この研究を挙げている。

S細胞:s(x, y)=Σ窓 × 入力(位置x, yのまわり) C細胞:c=max(近くのs)
窓
形の特徴の型(3×3)
max
最も大きい値
知ってるつもりよく言われる話:画像認識AI(CNN)は1989年ごろのアメリカで始まった
元の資料では:位置をずらしながら同じ結合を使うネットワークは、1979年に福島が発表していた。ただしネオコグニトロンは教師なし学習で、誤差逆伝播法を組み合わせたのはLeCunらだった。

図が示すこと:S細胞が小さな窓で線を探し、C細胞が近くのどれかが反応していれば反応する。これを重ねると、字の位置が少しずれても、C細胞の反応はあまり変わらない。

141970〜1973・日本

顔の目・鼻・口をコンピュータが見つける

写真の中のどこが目で、どこが口か。コンピュータはどう見つける?

1970年の大阪万博で、NECのショーは、テレビカメラで来場者の顔を撮影した。コンピュータが顔の各部分を自動で見つけ、21種類ののどれかを答えた(顔から性格が分かるという考えに、科学的な裏づけがあるとは言えない)。

1973年、京都大学の金出武雄は、顔写真から目・鼻・口を自動で見つけるプログラムを作り、約800枚(うち688枚は万博で集めた顔)で試した。金出の論文がくり返し使った手がかりの1つが、写真の細長い帯の中の暗さを足し合わせた量(integral projection)だ。目や口は暗いので、横方向に足し合わせると、その高さでグラフに山ができる。

右の図で顔の部品を動かすと、横と縦の足し合わせのグラフの山が動き、見つけた位置の線がついていく。うまくいかない時に前の段階に戻ってやり直す工夫も、金出の論文の特徴だった。

横の足し合わせH(y)=Σx 暗さ(x, y)
暗さ(x, y)
写真の位置 (x, y)の暗さ
H(y)が大きい高さ
目や口がある高さ
知ってるつもりよく言われる話:金出武雄の1973年の論文が世界初の顔認識
元の資料では:コンピュータで顔を識別する研究は、1960年代初めのアメリカにもあった。金出の論文の特徴は、やり直しを含む自動解析を、約800枚の顔写真で確かめたこと。

図が示すこと:顔写真を横に帯ごとに足し合わせると、暗い目と口の高さにグラフの山ができる。その山を探せば、目と口の位置が分かる。

横方向に足し合わせた暗さ(高さごと)
151973・日本

2本の足で、倒れずに歩く

2本の足のロボットは、どうして倒れないのか。

1973年、早稲田大学の加藤一郎らのグループは、人間型ロボットWABOT-1を作った。油圧で動く2本の足で歩き、両手で物をつかみ、人工の目で物の位置を見つけ、区切って話した日本語の命令を聞き分けて声で答えた。報告では、20 kgの荷を載せて、声の命令どおりにまっすぐ歩いたり向きを変えたりできた。

ゆっくり歩くロボットが倒れない基本は、重心の真下が、地面に足がついている範囲(支える範囲)の内側にあることだ。右の図で重心を動かしてみよう。重心の真下が範囲の外に出ると倒れてしまう。片足を上げると支える範囲が狭くなるため、先に重心を軸足の上へ移してから、もう一方の足を上げる。

倒れない ⇔ 重心の真下が、支える範囲の中
支える範囲
地面についている足の裏が囲む範囲

ここで動くのは、重心だけで考える「ゆっくり歩き」の図。速く歩く時は、勢いも考える必要がある。

知ってるつもりよく言われる話:WABOT-1は世界初のヒューマノイド
元の資料では:早稲田大学自身の評価。1973年の報告そのものは「世界初」を名乗らず、手・足・頭がそろって自分で動く機械をロボットと定義して、その条件を満たすものを作ったと書いている。

図が示すこと:ゆっくり歩くロボットが倒れないのは、重心の真下が足の裏の囲む範囲の中にあるから。片足を上げる前に、先に重心を軸足の上へ移す。

161970・日本

人に似すぎると、気味が悪い?

ロボットは、人に似ていればいるほど親しみやすいのか。

1970年、東京工業大学の森政弘は、石油会社が出していた雑誌の特集に随筆を書いた。ロボットの見た目や動きが人に近づくほど、親しみは増す。しかし、ほとんど人と同じになる手前で、急に気味悪さに変わる谷がある。森はこの考えをグラフで示した。

右の図は、その考えの形を描いたものだ(森の元の図の形をもとに、このサイトが描いた。数値は森の直感を表したもので、測った値ではない)。つまみで「人らしさ」を動かすと、どこで谷に入るかがわかる。「動き」が加わると谷はさらに深くなる、と森は書いた。

そのうえで森は、谷を越えて人そっくりを目指すより、ほどほどの人らしさであるをねらうよう、ロボットの設計者に勧めた。

知ってるつもりよく言われる話:不気味の谷は実験で確かめられた科学の法則
元の資料では:もとは1970年に石油会社の雑誌に載った3ページの随筆で、グラフは森の直感によるもの。本人は2012年に、科学の主張というより、ロボットを設計する人への助言だと語っている。

図が示すこと:人らしさが増すほど親しみも増すが、ほとんど人と同じになる手前で急に気味悪さに変わる谷がある、と森は直感で書いた。動きが加わると谷は深くなる。

171969・記号のAI

変わらないことまで全部書く?

「箱を動かした」と書くと、ほかの物はどうなったことになるのか。

論理の式で世界を表して行動を計画させるAIでは、行動で変わることだけでなく、変わらないことも1つずつ書く必要がある。1969年、マッカーシーとヘイズは、この困りごとをと名づけた。行動がn個、状態を表す量がm個あると、変わらないという条件をm × n個も書くことになりかねない。

右の図で、部屋の中の物と行動を増やしてみよう。「ロボットが箱を押す」と、箱の位置は変わる。しかし、電気の色、ドアの開け閉め、机の位置は変わらない。それを全部書くと、書く数は行動と物の掛け算で増えていく。

書く「変わらない」の数 ≈ m × n
m
状態を表す量(物の数など)
n
行動の種類
知ってるつもりよく言われる話:フレーム問題=AIは関係あることと無いことを見分けられないという難問
元の資料では:1969年の元の論文では、変わらないことを1つずつ書かないといけないという技術上の問題として出てきた。広い意味は、哲学者が後から広げた解釈。

図が示すこと:論理の式で計画させるAIでは、行動で変わることだけでなく、変わらないことも1つずつ書く必要がある。書く数は、物の数と行動の数の掛け算で増える。

181973〜1978・物差し

冬に、会員は3倍になった

研究費が減った時、研究する人の数も減ったのだろうか。

歴史家Haigh(2023)は、コンピュータ学会ACMのAI分科会(SIGART)の会員が、1973年の1,241人から1978年の3,500人へ、ほぼ3倍に増えたことなどから、と論じた。

右の図は、会員数の線に、資料ごとのの帯を重ねたもの。帯を切り替えると、会員が増えている年と、冬と呼ばれる年が重なっていると分かる。1970年代にイギリスの一部の研究室や、アメリカの音声・ロボットの研究費が厳しくなったのは確かだ。しかし、研究の世界全体がしぼんだとは言えない。

物差しを変えると、答えも変わる。大きな研究所のお金で見るか、研究する人の数で見るか、それとも言葉の使われ方で見るか。

会員数は1973年と1978年の2点だけ確かめた。間の年の数は、このサイトでは確かめていないため、線は2点を結んだだけ。

図が示すこと:冬と呼ばれる年に、AIの学会の会員はほぼ3倍に増えていた。冬かどうかは、お金で見るか人の数で見るかで答えが変わる。

191980・意味

規則どおり答えても、分かったといえるか

正しい答えを返す機械は、意味を分かっているのだろうか。

1980年、哲学者サールはある思考実験を示した。中国語を知らない自分が部屋にこもり、英語で書かれた規則の本だけを使って、差し入れられた中国語の質問に中国語で答える。外から見れば中国語を理解している人と区別できなくても、部屋の中の自分は何も分かっていない。だから、プログラムに従って記号を操作するだけのコンピュータも、意味を理解しているとは言えない、と論じた。

右の図が、その部屋だ。質問を選ぶと、部屋の中の人は記号の形だけを見て規則の本を引き、答えの記号を返す。規則の本の中身も見られるが、どこにも「意味」は書いていない。

この論文は、27人の反論や意見と一緒に学術誌に載った。この問いは、今の文章を作るAIにもそのまま向けられており、まだ決着していない。

同じころ、ELIZAを作ったワイゼンバウムは本(1976)で、できるかどうかとは別に、機械にさせるべきではない仕事がある、と書いた。

図が示すこと:中国語を知らない人が、規則の本だけで中国語の質問に正しく答えても、外からは分かっているように見えるだけで、中の人は何も分かっていない。サールはそこから、記号を操作するだけの機械も意味を理解しているとは言えない、と論じた。

おわりに

この章でまだ分かっていないこと

1970年代のAIの研究費を、国ごと・年ごとに並べた数字は、まだ見つかっていない。だったかどうかは、何を物差しにするか(大きな研究所のお金、学会の会員数、言葉の数)で答えが変わる。

がニューラルネットワークの研究を止めたかどうかも、資料によって言うことが違い、決めつけられない。記号を規則どおりに並べるだけの機械が「意味を分かっている」と言えるかは、1980年から今まで議論が続いている。

そして、この冬の間に日本で育った芽(アソシアトロン、ネオコグニトロン、DPマッチング)は、英語の代表的なAIの歴史の本には、ほとんど名前が出てこない。次の章では、専門家の知識を書き込むAIで、第2次ブームが始まる。

この章のほかの出来事(1件。どれも元の資料と確度つき)
1977年まとめで確認食い違いあり日本

安川電機の全電気式アーク溶接ロボット「モートマン-L10」── 資料の1975・1976・1977年は何の年か

安川電機(当時は安川電機製作所)は1972年ごろから電動ロボットの開発を始め、1974年のロボット展に初代モートマンを出品した。会社はこれを国内初の全電気式(油圧や空圧でなく電動モーターだけで動かす)産業用ロボットとするが、高価格などで商用には至らなかった。その後、人の腕のように関節が縦に並ぶ垂直多関節の5軸で、10kgまで運べる(L10の10はこの重さ)モートマン-L10を作り、アーク溶接(電極の間の放電の火花で金属をとかしてつなぐ方法)に特化させた。制御にはマイクロプロセッサ(小さなコンピュータ)を使った。1977年、大分県中津市のヨロズ自動車(現ヨロズ)中津工場が購入を決め、受注1号機が成約して製品として出荷された。L10の年をめぐり、発明協会のまとめは1975年、日本機械学会の機械遺産(2015年認定の第76号)は1977年と記して食い違う。資料を開いて整理すると、1975年と1976年は開発の年、1977年は最初の受注と出荷の年として書かれている。

よく言われる話:日本初の全電気式産業用ロボットはモートマン-L10、と書かれることが多い(機械遺産・国立科学博物館のデータベース・安川電機2021)
元の資料では:作った安川電機の技術物語と、安川電機の人が書いた2017年の日本機械学会誌の記事は、1974年のロボット展に出した初代モートマン(L10とは別)を国内初の全電気式としている。L10は、商用に至らなかった初代のあとに作り直し、1977年に初めて売れた(出荷した)機械としている。初めて見せた機械と、初めて売れた機械が違う。年も、1975年・1976年は開発、1977年は受注・出荷の年として書かれている。

分かっていないこと:1975年が何の年か(設計開始か、試作完成か、社外公開か)は分かっていない。楠田(2004)の出典(1978年の雑誌vol.19の記事)と安川電機の1978年の技報()は、このサイトでは開けていない。販売台数(2年間に2000台か、その後約1700台か)も資料により分かれる。

元の資料8件と確かめた所

食い違い:年:1975年(楠田2004の『(1975)』。発明協会『戦後日本のイノベーション100選』はこれを引いて『(1975年)』)/1976年に開発(小平2025、国立科学博物館2024年度版)/1977年(安川電機の技術物語:受注1号機の成約、安川電機2021:出荷、日本機械学会誌2017:製品化・製品として出荷、機械遺産 第76号:開発・販売、国立科学博物館のデータベース:製作年)。販売台数:2年間に2000台(楠田2004)/その後約1700台(日本機械学会誌2017)。手本にした他社の電動多関節ロボットの発表:1973年(安川電機の技術物語は他社の名を書かない。小平2025は欧州メーカ・IRB 6)/1974年(楠田2004、ASEAのIRB-6)。国内初の全電気式:1974年の初代モートマン(安川電機の技術物語・日本機械学会誌2017)/1977年のL10(機械遺産・安川電機2021の『日本で初めてとなる全電気式の産業用ロボット』はL10の出荷を指す)。

  1. ロボット|技術物語|テクノロジー|安川電機(MOTOMANの誕生)(株式会社安川電機・MOTOMANの誕生・「MOTOMAN」対外発表1号機・「…・本人の後の回想)
  2. 機械遺産 第76号 全電気式産業用ロボット「モートマン-L10」(日本機械学会誌120巻1183号、2017年6月、pp.42-43)(安田賢一((株)安川電機 開発研究所 ロボティクス技術部)・2017・p.42 1. モートマン-L10・2. 開発背景・本人の後の回想)
  3. 産業用ロボットMOTOMAN(モートマン)累積出荷台数50万台達成(安川電機のお知らせ、2021-03-30)(株式会社安川電機・2021・本文の1段落め・1.当社の産業用ロボットの歩み・本人の後の回想)
  4. 機械遺産 第76号(2015年認定)全電気式産業用ロボット「モートマン-L10」(日本機械学会)(一般社団法人 日本機械学会・2015・本文・まとめ)
  5. MOTOMAN-L10(産業技術史資料データベース、資料番号101890081011)(国立科学博物館 産業技術史資料情報センター(調査機関団体:社団法人日本ロボット工業会)・製作(製造)年・特徴・まとめ)
  6. 産業用ロボット技術発展の系統化調査(国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第4集、2004年3月)(楠田喜宏・2004・p.21-22 4.3停滞期(1970年代後半)・写真4.18・注12・まとめ)
  7. 産業用ロボット技術の系統化調査(2024年度版)(国立科学博物館 技術の系統化調査報告Vol.34、2025年3月)(小平紀生・2025・p.134 4.1.3日本のトップメーカによる電動型ロボットの開発競…・まとめ)
  8. 戦後日本のイノベーション100選 高度経済成長期「産業用ロボット」イノベーションに至る経緯・参考文献等(公益社団法人発明協会)(公益社団法人発明協会・イノベーションに至る経緯(注17〜19)・参考文献等・まとめ)