CHAPTER 04/1960〜1971

第1次ブームの中身と予言

探索と推論。できるようになったことと、大きな見通し(1960〜1971年)

迷路の道を探し、文章題を方程式に直し、手書きの数字を読む。1960年代のAIは、人が書き込んだルール・見積もり・型を使って、驚くようなことをやってみせた。そして「20年以内に」「一世代のうちに」という大きな予言が生まれた。元の資料を開くと、予言の言葉にも、よく知られた話にも、別の顔が見えてくる。

011960〜1966・日本

声を1音ずつ聞き分ける

「あ」と「い」の違いを、機械はどこで聞き分けるのか。

1960年、京都大学の坂井利之たちは、人の声を認識して文字にするを研究していた。当時の記事によると、ねらいは日本語の100の単音節(1音ずつ)を識別する装置だ。母音は声が強く響く2つの周波数の山(第1・第2ホルマント)の位置で、子音は波形が0を横切る回数などを組み合わせて識別する。

右の図は、2つの山の周波数を軸にした平面だ。「あいうえお」は別々の島に集まる。点を動かすと、最も近い島の母音が答えになる。雑音を増やすと、島と島のあいだで間違え始める。

答え = √((F1−F1ₖ)² + (F2−F2ₖ)²)が最小の母音k
F1, F2
声の1つ目・2つ目の山の高さ(周波数)
F1ₖ, F2ₖ
母音kの島の中心(このサイトが決めたおおよその値)

日本語のという言葉は、論文では1962年から見つかる。1966年の東北大学のシンポジウムはテーマを英語のままとし、京都大学の文字を読む「認識機械」などの講演に200人を超える人が集まった。

図が示すこと:声は「1つ目の山」と「2つ目の山」の2つの数で、地図の上の1つの点になる。機械はいちばん近い母音の島を答えにするだけ。島から点がにじみ出ると、となりの母音と間違える。

声の波形と、0を横切る回数
021961〜1969・ロボット

動きを記憶して繰り返す腕

工場で最初に働いたロボットは、何を「覚えて」いたのか。

1961年に成立したデボルの特許は、カム(回る板の形で、決まった動きだけを作る部品)の代わりに、動きの手順(プログラム)を記憶して入れ替えられる腕を考え、それをと呼んだ。同じ年、ユニメーション社のロボットがゼネラル・モーターズの工場に入り、型から出た熱い部品を取り出して積み上げた。

右の図で手順を入れ替えてみよう。腕は教えられた点を順にたどるだけで、何のための動きかは知らない。1969年、川崎重工業が国産初の産業用ロボット「川崎ユニメート2000型」を完成させると、日本ではとして大きな反響を呼んだ。

x=L₁cos θ₁ +L₂cos(θ₁+θ₂)
x
手先の横の位置(縦の位置yはcosをsinに変えた同じ形)
θ₁, θ₂
2つの関節の角度(手順として記憶する数)
L₁, L₂
腕の長さ

1963年1月1日、テレビアニメが始まり、心を持つロボットの少年が毎週テレビに出た。工場のロボットは、覚えた動きを繰り返す腕だった。

知ってるつもりよく言われる話:は日本初のテレビアニメ
元の資料では:放送ライブラリーや制作会社の表現は。それより前にも、短い国産のテレビアニメがあった。

図が示すこと:ロボットの腕が覚えているのは、点ごとの2つの関節の角度の数だけ。手順を入れ替えれば同じ腕が別の仕事をするが、腕は何のための動きかを知らない。

031962〜2007・ゲーム

チェッカーはのか

ゲームを「解く」とは、どういうことか。

1962年、IBMのサミュエルのチェッカー(8×8の盤で駒を飛び越えて取るゲーム)のプログラムが、目の見えない選手ネーリーに1局勝ち、チェッカーはと伝えられた。1965年、ベルマンは(訳)と書いた。

ゲームを解くとは、どの局面でも、両者が最善を尽くせば勝ち・負け・引き分けのどれになるかを決めることだ。確実な方法は、終わりの局面から逆にたどること(後ろ向きの解析)。右の石取りゲームで「1段さかのぼる」を押そう。石0個で番が来た人は負け。相手に負けの局面を渡せる手があれば勝ちだ。

チェッカーの局面は約5×10²⁰。2007年、アルバータ大学のチームが1989年からの計算で、両者が完璧なら引き分けになると証明した。

局面の値 = 勝ち(負けの局面へ行く手が1つでもある)/ 負け(どの手も勝ちの局面へ行く)
局面
ある時点の盤面
手
次の局面へ進む一手
知ってるつもりよく言われる話:1962年にサミュエルのプログラムがチェッカーの名人に勝ち、チェッカーは解けた
元の資料では:勝ったのは1局だけで、相手は名人の一つ下の級だった。翌年の対戦では相手が負けなしで勝ち、1965年には世界選手権の2人に8戦全敗した。本当に解かれたのは2007年。

図が示すこと:ゲームを解くとは、終わりの局面からさかのぼって、すべての局面に勝ち・負けの印をつけること。石取りならすぐ終わるが、チェッカーは局面が約5×10²⁰ もあり、2007年までかかった。

041964・文章題

文章題を式に直して解く

「〜より15パーセント安い」を、機械はどうやって式にしたのか。

1964年、MITの大学院生ボブローは博士論文で、英語の代数の文章題を読んで解くプログラムSTUDENTを作った。高校1年の教科書の文章題の一部を、STUDENTが読める形の英語に書き直して試した。

STUDENTは文の意味を考えない。英語のisは等号、percent less thanは掛け算というように、決まった言い回しを式の部品に置き換える。右の図で「1段進む」を押そう。式が足りない時はのような知っている関係を補い、置いた仮定を利用者に伝えた。決まりに無い言い回しは、同じ意味でも式にできない。

69.70=(1 − 15/100)× 表示の値段
is
等号にする
percent less than
×(1 − p/100)にする
sum of
足し算にする

ボブローはという言い方を、ことだと決めて使った。

図が示すこと:STUDENTは文の意味を考えず、決まった言い回しを式の部品に置き換えるだけで文章題を解いた。だから同じ意味でも、決まりに無い言い方だと解けない。

051966・会話

ELIZAの種明かし

人と文字で会話するプログラムは、何を「分かって」いたのか。

1966年1月、MITのワイゼンバウムは、コンピュータと文字で会話するプログラムELIZAの論文を発表した。ELIZAは、入力された文からキーワードを探す。そのキーワード用の分解の規則で文を部分に切り、組み替えの規則で返事を作る。キーワードが無ければ、中身のない相づちを返す。

キーワードには優先順位がある。論文の例では、everybodyの順位をIより高くしておく。するとeverybodyに反応して、誰のことかを聞き返せる。右の図に文を入力すると、見つけたキーワードと使った規則が見える。キーワードと規則の一式(台本)はプログラムとは別のデータで、入れ替えると話し相手の役が変わる。

(0 YOU 0 ME) → (WHAT MAKES YOU THINK I 3 YOU)
0
何語でも入る部分
3
分解した3番目の部分をそのままはめ込む(論文の例)

論文の時点で、いちばん大きな台本でもキーワードは約50。英語のほか、ウェールズ語とドイツ語の台本もあった。

知ってるつもりよく言われる話:ELIZAは人のように会話できるAIを目指して作られた
元の資料では:論文は冒頭で(訳)と書き、(訳)と続けた。

図が示すこと:ELIZAは文の中のキーワードを探し、決まった型にはめ直して返すだけ。分かっているように見えても、種を明かせば意味は見ていない。

061964年か1966年か・日本の教材

ELIZAは何年のものか

年表の「1964年」は、何の年なのか。

高校「情報Ⅱ」の教員向け教材(2020年)の表には、とある。この表は、2016年の国の調査研究の報告書から、総務省の白書、教材へと書き写されてきた。

元の資料を並べると、ワイゼンバウムの論文は1965年9月に受理され、1966年1月号に載った。当時のMITの年報(1964年7月〜1965年7月の分)は、人とコンピュータが自然な言葉で会話するシステムの開発が、この期間に始まったと書く。見つかった元のプログラムは1965年の版だった。

右の札を押すと、その年が何の年かが出る。1964年は開発を始めたころとしてはあり得るが、完成や発表の年ではない。教材の表と論文は、違う時点を書いている。何の年かが分かれば、どちらの数字も正しく読める。

英語の資料にも年のゆれがある。IEEEのコンピュータの先駆者の紹介はと書き、論文の号の年も1965年としている(紙面は1966年)。

図が示すこと:年表の「1964年」と論文の「1966年」は、どちらかが間違いというより、開発を始めたころと発表の時という、違う時点を書いている。

071965・化学

候補をすべて作り、規則で絞り込む

答えの候補が何百万もあるとき、専門家はどうやって絞り込むのか。

スタンフォード大学のレダーバーグは、化学式からありうる分子の構造を、木の形で全部数える手順DENDRALを作っていた(1964年)。1965年からファイゲンバウムらは、化学者の経験の知識をの規則で組み込み、候補を絞るプログラムにした。質量分析(分子を壊して、かけらの重さを測る方法)のデータを読む知識だ。ある化合物では、14,715,813通りの構造が質量分析で1,284,792通りに、別の測定(核磁気共鳴)も使うと1つに絞られた。

右の図は、この考えを小さくしたもの。炭素だけの骨組みを全部作り、かけらの重さを予想し、測った重さと合わない構造を消す。

作る → 予想する → 比べる(合うものだけ残す)
かけらの重さ
炭素k個のかけらを14k+1とした(このサイトの単純なルール。本物の質量分析はもっと複雑)

1970年の論文は(訳)と書いた。

知ってるつもりよく言われる話:初のエキスパートシステムはMYCIN(1972年)
元の資料では:日本の白書はそう書くが、専門家の経験の知識を規則にして組み込んだプログラムは、1965年に始まったDENDRALが先。開発者自身も1993年の論文の題で、DENDRALをと呼んでいる。

図が示すこと:候補を全部作ってから、専門家の知識(測ったかけらの重さ)で合わない物を消すと、山のような候補が一気に少なくなる。

081965・集合

「背の高い人」は何cmから?

入るか入らないかを決められない集まりは、数で表せるか。

1965年、カリフォルニア大学バークレー校のザデーは、論文を発表した。やは、入るか入らないかの境目がはっきりしない。けれど、こうした集まりは、人が形を認識したり情報を伝え合ったりする時に大事な役割を果たす。そこでザデーは、その集まりにどのくらい入っているかを、0から1までの数(所属の度合い)で表した。

右の図で身長を動かしてみよう。普通の集合は、ある身長で突然0から1に切り替わる。ファジィ集合は、なめらかに増えていく。論文は「または」を大きい方、「かつ」を小さい方、「でない」を1から引いた数と定めた。

または =Max[μA, μB] かつ =Min[μA, μB] でない =1 − μA
μA
集合Aに入っている度合い(0〜1)

度合いの形(160 cmで0、185 cmで1)は、このサイトが決めた例。だれがどう決めるかは、使う場面ごとの約束になる。

図が示すこと:「背が高い」のような、はっきりしない集まりも、0から1の度合いで表せば計算できる。普通の集合は境目で突然切り替わり、ファジィ集合はなめらかに変わる。

091960〜1966・予言

機械は人のどんな仕事もできるようになるか

「20年以内に」の予言は、人の仕事がなくなるという意味だったのか。

1965年、サイモンは本に(訳)と書いた。もとの1960年の論文では、(訳)と見通しつつ、すぐ後に(訳)と続けていた。

サイモンが使ったのは、経済学のの考え方だ。機械がすべての仕事で人より速くても、機械の時間には限りがある。それぞれが相対的に得意なことを受け持てば、全体でより多くを生み出せる。右の図で機械の速さを上げても、「得意で分ける」と人の仕事は残る。

人が受け持つ仕事 =(機械の速さ ÷ 人の速さ)の比が、いちばん小さい仕事
比較優位
ほかと比べて、相対的に得意なこと(速さそのものではない)
知ってるつもりよく言われる話:サイモンは20年で機械が人の仕事をすべて奪うと予言した
元の資料では:元の論文は、技術的な力の見通しと、それをどう使うかを分けていた。長い目で見れば、働きたい人はほぼ全員働けると考えていた。1966年には、雇用の水準を決めるのは技術ではなく経済の仕組みだと反論している。

図が示すこと:機械がどの仕事でも人より速くなっても、機械の時間には限りがある。人が相対的に得意な仕事を受け持てば全体でたくさんできるので、「機械が全部できる」と「人の仕事がなくなる」は別の話。

101965・予言

毎年2倍を10年続けると

毎年2倍に増えるものは、10年で何倍になるのか。

1965年、フェアチャイルド・セミコンダクターのムーアは記事で、1つの回路の部品の数がおよそ毎年2倍に増えてきたと書いた(1個あたりの費用がいちばん安くなる数)。この割合は続き、1975年には65,000個になると見通した。

右のグラフで「2倍ずつの目盛り」を選ぶと、線は一直線になる。毎年同じ割合で増えているしるしだ。2倍になる年数Tを変えると、1975年の予想は大きく変わる。「くわしく:記事の点・費用・出どころ」の下のグラフは、1個の費用がいちばん安くなる部品の数が、年とともに右へ動く様子だ。

部品の数 =64 × 2(年 − 1965) ÷ T
T
2倍になる年数(記事では約1年)
64
2⁶(1965年の点)

1975年、ムーア本人はそれまでほぼ毎年2倍だったと振り返り、これからはくらいになるかもしれないと見通しを直した。という名前は、別の人がつけた。

図が示すこと:毎年2倍を10年続けると約1000倍になる。2倍になる年数がほんの少しちがうだけで、10年後の数は何十倍もちがう。

1個あたりの費用と部品の数(その年にいちばん安くなる点)
111965〜1967・批判

読む手をしぼる

チェスのコンピュータは、打てる手をすべて読んでいたのか。

1965年、哲学者のドレイファスはRAND研究所の報告で、AIは初めの成功のあと、思ったより大きな壁にぶつかっていると論じた。人は視野の端の手がかりや、何が大事かの見分けを使って考える。だが、コンピュータの言葉に置き換えると、それが抜け落ちる、と書いた。

1967年、MITのグリーンブラットが作ったチェスプログラムMac Hack VIが、ドレイファスとの対局に勝った。このプログラムは手をすべては読まない。約50の手がかりで手ごとにもっともらしさの点数をつけ、点の高い手だけを読む。大会では、読む手の数を1・2手目は15、3・4手目は9、その先は7に絞った。右の図で、絞り方と深さを変えてみよう。

読む局面 =w₁ × w₂ × … × wd(全部ならbd)
wk
k手目で読む手の数
b
打てる手の数(図では仮の数)
d
深さ
知ってるつもりよく言われる話:ドレイファスは、コンピュータはチェスでアマチュアにも勝てないと予言して自分が負けた
元の資料では:1965年の元の文は(訳)という当時の状況を書いた文。本人は(訳)と答えている(パパートの覚え書きによる)。

図が示すこと:チェスのプログラムは打てる手を全部は読んでいない。もっともらしい手だけにしぼると、読む局面の数がけたちがいに減り、そのぶん深く読めた。

121966〜1972・ロボット

ぶつかったら、地図を直して探し直す

見えていない物にぶつかったロボットは、どうすればいいのか。

1966年から1972年まで、スタンフォード研究所(SRI)は車輪で動くロボットを研究した。テレビカメラや距離計、衝突センサーを積み、無線でつないだ大型コンピュータが、見た物から部屋の地図を作り、経路を計画して動かした。急に止まると車体が揺れたので、シェーキー(揺れるもの)と呼ばれた。

1970年の報告の作業例では、シェーキーは経路を計画して進む。見えなかった物にぶつかると、止まって写真を撮り直し、計画し直す。右の図は自動で進む。「止める」で止め、「続けて進む」で再び進めよう。点線の物はまだ地図にない。探し方は、近い場所から広げる幅優先と、行ける所まで進んでから戻る深さ優先を切り替えられる。

幅優先 ← 待ち行列 深さ優先 ← 積み重ね
待ち行列
先に見つけた所から調べる(先入れ先出し)
積み重ね
最後に見つけた所から調べる(後入れ先出し)
知ってるつもりよく言われる話:Life誌がシェーキーを『最初の電子の人間』と呼んだ
元の資料では:記事でその言葉は、記者を案内した若い研究者の言葉として引かれている。記者は同じ誌面で、見た仕事は(訳)と書いた。SRIの1984年のまとめは、シェーキーを(訳)のロボットと書く。

図が示すこと:シェーキーは見えた物で地図を作り、道を計画して進む。地図に無い物にぶつかったら、止まって地図を直し、計画し直す。

131966・コンピュータの目

物と背景を分ける

写真の中のを、コンピュータはどう見つけるのか。

1966年7月、MITのパパートは、夏のあいだ働く人たちで視覚の仕組みの(訳)を作る計画を、覚え書きにした。読み取り装置の画像から物と背景を分け、面の性質を調べ、知っている物の名前を当てる。7月は重ならずに置いた球・れんが・円柱だけ(面の色も背景も一様)。8月に、たばこの箱や電池、さらに道具やコップへ広げる計画だった。

右の図は、最初の一歩である「物と背景を分ける」仕組みだ。しきい値より暗い点を物とし、つながった点をひとまとまりにして数える。背景が一様なら正しく数えられる。だが背景にむらがあると模様まで物になり、物どうしが触れると1つにまとまってしまう。

物の点 ⇔ 明るさ < しきい値 まとまり = 上下左右でつながった物の点の集まり

AIの歴史の本を書いたNilsson(2010)は、この計画は思ったよりずっと難しかったが、MITで視覚の研究が続くきっかけになったと書く。

知ってるつもりよく言われる話:MITは学部生ひとりに、ひと夏で『コンピュータの視覚』を解かせようとした
元の資料では:覚え書きでは、担当に約11人の名前を並べ、7月は一様な背景の球・れんが・円柱だけ、8月に少しずつ広げる計画だった。ただし、思ったよりずっと難しかったことは、後の歴史の本も書いている。

図が示すこと:写真の物を見つける最初の一歩は、しきい値より暗い点をつないで、まとまりを数えること。背景が一様なら正しいが、むらがあったり物が触れたりすると、すぐ数え間違える。

141967・日本・学び方

誤差から少しずつ学習する

きれいに分けられないデータから、機械はどう学習するのか。

1967年、甘利俊一は論文で、学習法を数学で調べた。例を1つ見るたびに、誤差に応じて重み(どの特徴をどれだけ重く見るか)を少しずつ直す方法だ。要約は、2組がきれいに分けられなくても最適な重みに近づくこと、速さと正確さの兼ね合いを示した。1968年の日本語解説は、これを「確率的降下法」と呼ぶ。

右の図では、2つの組の点が重なっている。学習率ηを大きくすると早く近づくが、いつまでも揺れる。小さくすると落ち着くが、時間がかかる。ηをだんだん小さくすると、両方の良い所を取れる。

w ← w − η ∇L(x, t ; w)
w
重み
η
学習率(直す幅)
L
その1つの例の誤差
∇L
どちらに直せばLが減るかを示す向き

シュミットフーバー(2022)は、多層ニューラルネットワークをこの方法で学習させた、おそらく最初の論文として、これを挙げる。ただし1967年の要約は、線形分類器とその拡張の理論を述べている。

図が示すこと:例を1つ見るたびに、間違いの分だけ重みを少し直す。きれいに分けられないデータでも、いちばん良い線に近づいていく。直す幅を大きくすると速いが揺れ、だんだん小さくすると両方の良い所を取れる。

見た例の数と誤り率(点線:いちばん良い線)
151968・探索

移動距離+見積もりで最短経路を探す

迷路を探索するとき、どのマス目から調べればよいのか。

1968年7月、SRIのハート、ニルソン、ラファエルは、手がかり(ヒューリスティック)を使って最小コストの道を探す理論の論文を発表した。ニルソンの回想では、シェーキーの道探しのために、ゴールまでのの見積もりにを足す案が生まれた。見積もりが本当の残りより大きくなければ、必ず最短の道が見つかる。この探索法はA*(エースター)と名づけられた。

右の迷路で3つを比べよう。見積もりを使わないと、スタートから近い順に周囲をすべて調べる。A* はゴールの方へ伸びていく。見積もりを3倍にすると調べるマス目は減るが、最短経路にはならない。

f(n)=g(n)+h(n) fの小さいます目から調べる
g(n)
スタートからnまでの道のり
h(n)
nからゴールまでの見積もり(縦横の直線距離)

この迷路で調べたマス目は133・97・52、経路の長さは29・29・39。A* は今、カーナビの道案内やゲームでも使われている(Nilsson 2010)。

図が示すこと:A* は「ここまで来た距離」と「ゴールまでの見積もり」を足した数の小さいマス目から調べる。見積もりを使うとゴールの方へ伸び、見積もりが大きすぎると速いが最短ではなくなる。

161968・日本

負なら0、正ならそのまま

足し算だけのニューロンを何層重ねても、できることは増えるのか。

1968年、NHK放送科学基礎研究所の福島邦彦は、ネコやサルの目と脳の実験を手本に、層を重ねた回路網をコンピュータでシミュレーションした。手書きの文字を読む機械への第一歩だ。図形は層を進むごとに、孤立した点や向きごとの線分に分けられ、さらに線分の端点が見つけられていく。

使ったニューロンは、入力の合計が正ならそのまま、負なら0を出す。今のディープラーニングで広く使われるReLUと同じ形だ。全部を足し算だけのニューロンで作ると何層重ねても2層と同じ、とも書いている。右の図で「負なら0(ReLU・レルー)」を外すと、線のない所の負の値が次の層に流れこみ、端が正しく見つからない。

出力 =max(0, Σ重み × 入力)
max(0, u)
uが負なら0、正ならそのまま(今の呼び名はReLU)

図の重みは、このサイトが単純にしたもの(1968年の回路網の重みそのものではない)。端を見つけるニューロンは、線の上の隣どうしを引き算する。

知ってるつもりよく言われる話:ReLUは2010年代のディープラーニングの発明
元の資料では:同じ形の活性化関数(負なら0、正ならそのまま)は、1968年の福島の日本語の解説と1969年の英語の論文で、目の仕組みのまねとして使われていた。

図が示すこと:福島は1968年に「負なら0、正ならそのまま」のニューロンを層に重ね、線や端を見つけた。この「負なら0」が無いと、層を重ねても端が正しく見つからない。

入力の合計とニューロンの出力
171968〜1969・日本

手書きの郵便番号を読む

機械は、読めない文字をどう処理したのか。

郵便番号制度が始まった1968年7月1日、東芝が郵政省の指導で開発した郵便番号自動読取区分機が、東京中央郵便局で公開された。人が自由に手書きした数字を読んで仕分けるのはとされる。全国から集めた約30万字の手書き数字を分析し、赤い枠は光学フィルターで消して、1秒に約6通の速さで上3けたを読んだ。

1969年の開発者の論文によると、文字を横の帯ごとに調べて特徴を19種類に分け、その上下の並びを、辞書にためた各数字の変形の並びと比べた。合わない所が2つ以上ある数字は外す。残りが1つならそれが答え、0か2つ以上なら「読取拒否」として人に回した。

残る数字 = { d| 合わない所の数(字の並び, dの辞書の並び)<2 }
残りが1つ
それが答え
0か2つ以上
読取拒否(人が読む)

図の文字と特徴(5種類)は、このサイトが作った例。1969年の最初の国際人工知能会議では、日本からの5本のうち3本が文字認識の研究だった。

図が示すこと:郵便番号の読み取り機は、文字を横の帯ごとの特徴の並びにして辞書と比べ、答えが1つに決まらない字は「読取拒否」として人に回した。間違えるより、人に回すことを選んだ。

雑音の量と、読み取りの結果
181967〜1970・予言

一世代・3〜8年・近い将来は薄い

同じころの見通しは、どこに書かれた言葉なのか。

1967年、ミンスキーは著書に(訳)と書いた。1970年、Life誌の記者の記事は、ミンスキーが(訳)と話したと書き、ほかの研究者が(訳)と言ったことも伝えた。1968年の映画には、人の声で話すコンピュータHAL 9000が登場する。

同じ1968年、日本の甘利俊一はと書いた。右の図は、予言をした年から期限までを線で結んだもの。色と札の形は言葉の出どころを示す。「いまの年」を動かすと、期限が来た予言に何が起きたかが出る。

が何年かは本に書かれていない。ミンスキーが後で引用を否定する反論を書いた、と歴史家の本にあるが、否定したのがの言葉かどうかは確かめられなかった。

知ってるつもりよく言われる話:ミンスキーは1970年に「3〜8年で人並みの知能の機械」と言い切った
元の資料では:元は雑誌の記者の記事の中の言葉(Life誌、1970年11月20日号、58Dページ)。本人の著書(1967年)の書き方は「一世代のうちに」だった(本の紙面は見られず、この本を引く2冊の本で確かめた)。

図が示すこと:同じころの「何年で」という予言は、本人の本・記者の記事・孫引きと、出どころがちがう。期限が来たとき何が起きたかを、出どころと一緒に見る。

191971・言葉

積み木の世界なら話が通じる

範囲をしぼれば、コンピュータは言葉を「分かる」のか。

1971年1月、MITのウィノグラードは博士論文で、英語の会話で質問に答え、命令を実行するプログラム(のちにSHRDLUと呼ばれる)を発表した。題材は、机の上の積み木やピラミッドを、手と目を持つ簡単なロボットが動かす世界だ。(訳)には、上の積み木をどけてから持ち上げてと答え、(訳)には、場面に3つあるので(訳)と聞き返した。

右の図で「命令する」を押そう。形・色・大きさの言葉で物をしぼり、1つに決まれば動き、2つ以上なら聞き返し、無ければそう答える。論文の語彙は200語で、1文に5〜20秒かかった。

合うものが1つ → 動く 2つ以上 → 聞き返す 0 → 無いと答える
合う物
形・色・大きさが、命令の言葉に合う物
知ってるつもりよく言われる話:SHRDLUはロボットの腕で本物の積み木を動かし、英語を理解した
元の資料では:論文では、ロボットと積み木は画面上のシミュレーションだった。場面のデータはがあると仮定して初めから与え、会話は文字を打って行った。本人は2004年に、SHRDLUの動き方と脳の働きの間には根本的な溝がある、と書いた(Nilssonによる)。

図が示すこと:積み木の世界のように範囲をしぼれば、言葉で物をしぼり込み、1つに決まれば動き、2つ以上なら聞き返せる。でも範囲の外の言葉は知らない。

おわりに

この章でまだ分かっていないこと

ミンスキー本人がの言葉を否定したかどうかは、反論の文そのものが見つからず、分かっていない。が何年を指すのかも、本には書かれていない。教材の表にELIZAの「1964年」を最初に入れた資料も、まだ分かっていない。

ドレイファスは、あいまいな場面の理解などの大きな進歩には(訳)と書いた。その力が今の学習するAIでどこまで実現したと言えるかは、評価が分かれている。答えが合うことと、意味が分かっていることが同じかどうかも、STUDENTやSHRDLUの時代から続く問いだ。

この章のAIは、人が考えて書き込んだルール・見積もり・型で動いていた。範囲を絞れば驚くほどのことができたが、範囲の外では動かなかった。同じころの日本では、甘利の少しずつ重みを直す学習法や、福島の「負なら0」のニューロンを重ねた回路網のように、今のディープラーニングにつながる芽も育っていた。次の章では、期待に届かなかったの時代と、その間に育った芽を見る。