01 1955・名前と計画書
「人工知能」 を掲げた夏の計画書
「人工知能」 という名前は、どこで、どんな見通しとともに生まれたのか。
1955年8月31日付で、マッカーシー、ミンスキー、ロチェスター、シャノンの4人が、翌年の夏にダートマス大学で開く研究会の計画書 を書き、ロックフェラー財団に資金を申請した。その題に入っていたのが「人工知能」 という言葉だ。計画書は、学習や知能のどんな特徴も、原理的には「機械にまねさせられるほど正確に書き表せる」 (訳)という予想から出発する。
右の7つの箱が、計画書に並ぶ研究課題だ。押すと中身が表示される。言語、ニューラルネットワーク、計算の規模、自己改良する機械。この章の見開きの多くは、どれかの続きにあたる。
期間は2か月、参加者は10人を見込んだ。選ばれた科学者がひと夏集まって取り組めば、挙げた課題の「1つ以上で大きく前に進める」 (訳)と書いた。申請した予算は13,500ドルだったが、財団から助成されたのは7,500ドルだった。
予算表の各項目を足すと13,000ドルになり、表に書かれた合計13,500ドルと500ドル合わない(マッカーシーのサイトにある再録版で確認。差の理由は書かれていない)。?
知ってるつもり よく言われる話: 「人工知能」 は全員一致で決めた名前元の資料では: マッカーシーが選んだ名前で、当時から異論もあった。ニューウェルとサイモンは何年も「複雑な情報処理」 という別の呼び名を使っていた。
知ってるつもり よく言われる話: ダートマスの参加者はひと夏でAIを完成させるつもりだった元の資料では: 計画書の表現は「1つ以上で大きく前に進める」 (訳)。完成させるとは書いていない 。
なぜ「人工知能」 なのか マッカーシーは後年の書評で、この言葉を選んだ理由の1つは「サイバネティクス」 と混同されないためだった、と書いた。その「アナログのフィードバック」 (結果を見て動作を修正する仕組み)に偏ったところが的外れに思えたという。ほかにも、オートマトン理論、複雑な情報処理、考える機械などの呼び名があった。
日本語の「人工知能」 は、論文では1962年12月の名古屋大学の例が最も古く見つかっており、国会の会議録に初めて登場するのは1983年2月だった。
元の資料と確度(4件)
× 元の資料と確度(4件)「人工知能」 を掲げた夏の計画書 1955年8月31日 元で確認 食い違いあり
「人工知能」 という名前を掲げた、夏の研究会の計画書マッカーシー、ミンスキー、ロチェスター、シャノンの4人が、翌夏にダートマス大学で「人工知能」 の研究会を開く計画書を作成し、ロックフェラー財団に資金提供を求めた。計画書は、学習のあらゆる側面や、知能のほかのどんな特徴も、原理的には「機械にまねさせられるほど正確に書き表せる」 という予想から出発した。機械による言語の使用、概念の形成、自己改善などを研究課題に並べている。申請した額は合計13,500ドルだった。
よく言われる話: 「ひと夏でAIを完成させるつもりだった」と言われがち元の資料では: 提案書では、選ばれた科学者がひと夏いっしょに取り組めば、並べた問題の「1つ以上で大きく前に進める」 と述べるにとどまる。完成させるとは書いていない(提案書p.2)
元の資料2件と確かめた所 食い違い: 提案書の提出日:表紙は1955-08-31(提案書p.1)/「9月2日に送った」(Grace Solomonoff 2016 p.6、財団の記録を見たとする)/「1955年8月に出した」(Nilsson 2010 p.77)
A Proposal for the Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (J. McCarthy, M. L. Minsky, N. Rochester, C. E. Shannon・1955・p.1-4・元の資料) The Quest for Artificial Intelligence (Nils J. Nilsson・2010・p.77 3.2 The Dartmouth Summer Proj…・まとめ) 1955年8月31日 元で確認
2か月・10人で「大きく前に進める」 見通し ダートマスの計画書は、選ばれた10人がひと夏(2か月)いっしょに取り組めば、機械に言語を使わせるなどの課題の1つ以上で「大きく前に進める」 と見込んだ。
よく言われる話: 「ダートマスの人たちは、ひと夏でAIを完成させると言った」と言われがち元の資料では: 元の提案書では「1つ以上の問題で大きく前進できる」
その後: 研究会は1956年の夏に開かれた。しかし財団からの助成金は希望額の約半分(7,500ドル)で、参加者の多くは入れ替わりで短期間訪れ、全期間いたのは3人だった。マッカーシーは後に、資金不足や各自の都合により、全員がひと夏集まる計画は実現しなかったと話している。2006年の50周年の会議では、期待したほどの共同作業にはならなかったと認めた。研究会が期待どおりにならなかった一番の理由は「AIは思っていたより難しい」 ことだと述べた。一方で、同時期にニューウェルとサイモンの定理証明プログラムなど、重要な成果が出たことも挙げている。
元の資料1件と確かめた所 A Proposal for the Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence (J. McCarthy, M. L. Minsky, N. Rochester, C. E. Shannon・1955・p.2・元の資料) 1955年 元で確認 食い違いあり
マッカーシーが「人工知能」 と名付けた理由(本人の回想) マッカーシーは後の書評で、「人工知能(artificial intelligence)」 という言葉を作った理由の1つは、「サイバネティクス」 と一緒にされないためだった、と書いた。サイバネティクスは当時の考える機械の呼び名の1つだった(Grace Solomonoff 2016)。マッカーシーはその「アナログのフィードバック」 (結果を見て動きを直す仕組み)に偏った点が的外れに思えたという。ウィーナーを先生として仰ぐのも、言い争うのも避けたかった、とも書いている。
よく言われる話: 「人工知能」 はみんなで決めた名前だと思われがち元の資料では: マッカーシーが選んだ名前で、当時から反対もあった。ニューウェルとサイモンは何年も「複雑な情報処理」 という別の呼び名を使った(Nilsson 2010 p.79がMcCorduck 1979 p.97を引用。McCorduckの本は未確認)
元の資料3件と確かめた所 食い違い: 書評が出た年:マッカーシー本人の一覧では1989年。1988年とする記述もある(未確認)
Review of 'The Question of Artificial Intelligence' (Bloomfield ed.) (John McCarthy・1989・Schopmanの章への評のところ(影響を受けた人の話の…・本人の後の回想) The Quest for Artificial Intelligence (Nils J. Nilsson・2010・p.78-79 3.2 The Dartmouth Summer Proj…・まとめ) Ray Solomonoff and the Dartmouth Summer Research Project in Artificial Intelligence, 1956 (Grace Solomonoff・2016・p.6・まとめ) 1962年12月 元で確認 日本
日本語の「人工知能」 :論文は1962年から、国会は1983年から J-STAGE(日本の学術論文データベース)で探すと、1962年12月の名古屋大学の織田守矢さんの論文に「人工知能を初め計算機応用を主とした面の研究」 という記述があった(ミンスキーたちの総説を紹介する文)。一方、1966年の東北大学のシンポジウムでは、テーマ名を英語の「Artificial Intelligence」 のまま表記していた。国会の会議録では「人工知能」 は1982年まで0件だった。初出は1983年2月で、参考人が「人工知能、第五世代のコンピューター」 と並べて話題にした。
分かっていないこと: J-STAGEの全文検索では、テキストデータのない古いスキャン論文を検索できないため、1962年より前の使用例がある可能性は残る。新聞(朝日・読売などの有料記事データベース)や当時の書籍は調べていない。
元の資料3件と確かめた所 学習機能の工学制御系への導入に関する予備的考察(計測と制御1巻12号, 1962年12月, pp.984-) (織田守矢(名古屋大学工学部 自動制御研究施設)・1962・p.990 5・1・1学習制御の背景・元の資料) 第3回 東北大学電気通信研究所 シンポジウム -Artificial Intelligence-(計測と制御5巻8号, 1966) (竹田 宏・1966・p.626-627学界だより・元の資料) 国会会議録検索システムAPI(検索語「人工知能」、〜1982-12-31と 〜1985-12-31) (国立国会図書館・2026・検索結果(JSON)・元の資料)
解説を見る 解説をとじる