病室のベッドの脇で、小さな箱がかすかな駆動音を立てている。
四十四歳の誕生日だった四月三十日、娘に頼まれていたプリンを買って帰る途中のことだった。
通学路の横断歩道の真ん中で激しい咳が止まらなくなり、その場にしゃがみこんだところを車にはねられた。
病院に運ばれ、自分の命が今夜で終わることを悟った。
三十二歳のころから喉の違和感はあったのに、忙しさにかまけて受診を先延ばしにし、四十を過ぎて見つかった肺の影にはもう手がつけられなかった。
会社を辞め、言葉を扱う元ITマーケターとしての技術を使って、死後に動く言いつけの仕組みを準備していたが、こんな形で急に幕が下りるとは思っていなかった。
父テツのことを思い出す。
若いころ、友人の借金の保証人になって焼き印の判を押し、店を手放して家族の前から姿を消した父。
母は川辺に残された上着を見て川で死んだと思い込み、遺体のない葬式を出した。
だが父は生きていて、私が独立したあとに母の家の二階へひっそりと隠れ住んでいた。
許せない気持ちと向き合うのが怖くて、父も私も長いあいだ口を閉ざしていた。
サヤが四歳になった秋、父は母の二階で本当に息を引き取った。
二度目の葬式のとき、私は父の失敗談をたくさん集め、満面の笑みを浮かべた写真を使った式の紙を配って明るく送った。
許し合えたからではない。ただ、最後くらいは笑って別れたかったからだ。
昔、絵本を見上げながら娘に話して聞かせた、運河と奥の塔の物語。
私の頭から箱が吸い上げていく九十七の人生は、私が生きて、悔やんで、笑った日々の変形にすぎない。
昔考えた読了順の企画を、娘への物語に流用しようとしたが、未完成の通知には百件の重複を異常と呼ぶ仮の文言が残ってしまった。
原因究明などという冷たい言葉を残してしまった責任は私にある。
最後の頁は書けなかった。
だから読む係へ託す。
十六日と二十九日の別紙の手配を確認し、私は紙から手を離した。