1 白袴の、写真屋さん
今夜止まるのは、フキノの灯りだった。
フキノの家は、古い写真館だ。
おじいちゃんの、そのまたおじいちゃんの代から、町の人の写真を、とってきた。
七五三。入学式。結婚式。家族の記念写真。
写真館の人は、白いはかまを着て、カメラのうしろに立つ。
それが、この店の、昔からの決まりだった。
フキノは、写真館の仕事を、古くさいと思っていた。
今は、だれでも、スマホで写真がとれる。
でも、おばあちゃんのトメさんが、足をいためて、フキノが、店をてつだうことになった。
一日目。
フキノは、白いはかまを着て、店のおくの、古い箱をあけた。
中には、写真が、たくさん、入っていた。
とったのに、だれも、受け取りに来なかった写真。
二日目から十九日目。
フキノは、写真を、持ち主にとどけることにした。
トメさんに、聞いた。
トメさんは、住所を、半分くらい、わすれていた。
町の古い地図を、ひろげた。
同じ場所に、ちがう家が、たっていた。
フキノは、写真のすみっこの顔を、大きくして、調べた。
主役じゃない人。すみに、ちょっとだけ、うつっている人。
その顔を知っている人が、見つかった。
一まい、また一まい、写真が、持ち主のところへ、帰っていった。
二十日目から二十四日目。
写真を受け取らない、と言う人もいた。
「もう少し、あずかっておいてほしい。いつまでとは、言えないけど」
フキノは、店に、「おあずかり箱」を作った。
それから、家族で、写真をとることにした。
フキノは、いつものように、カメラのうしろに、回ろうとした。
トメさんが、呼んだ。
「フキノ。あんたも、こっちに来なさい」
フキノは、となりの店のおじさんに、カメラを、たのんだ。
カメラをわたす手が、かたかった。
家族が、はしのほうに、フキノの場所を、あけてくれた。
今朝、フキノの封筒が、もどってきた。
白袴のまま、写真に入る。はしっこでいい。 フキノ
今日。
フキノは、白いはかまのまま、家族のいちばんはしっこに、すわった。
まんなかには、まだ、行けなかった。
でも、カメラのうしろじゃなくて、カメラの前に。
「はい、とりますよー」
となりの店のおじさんが、シャッターを、おした。
かしゃ。
夜。
できあがった写真の、いちばんすみに、フキノの顔が、うつっていた。
白いはかまで、ちょっと、てれくさそうに、わらっていた。
――頁は、そこで、止まっていた。
手順書に、この行があった。
私が写っていない写真にも、私はいたと書くこと。
2 くつが、ない
フキノの灯りを包んで、ガラス玉を引き出しにしまったあと。
私は、ふと、自分の足もとを見た。
――はだしだった。
いや、はだしというのも、ちがうかもしれない。
足は、ある。ような気がする。
でも、くつを、はいていない。
くつを、はいたことが、あっただろうか。
私は、立ち上がった。
くつを、さがそうと思ったのだ。
この部屋の、どこかに、あるはずだ。
入り口のところとか。
――入り口。
この部屋の、入り口は、どこだろう。
私は、部屋を、ぐるりと見回した。
灯りのたな。かべいっぱいの覚え絵。机。引き出し。椅子が二つ。
それだけだった。
戸も、まども、なかった。
入り口が、なかった。
私は、この部屋から、一度も、出たことがない。
一日目の夜から、ずっと、ここにいる。
じゃあ――一日目の、前は?
私は、思い出そうとした。
一日目の夜より、前の朝。
何を食べたか。どこで、ねていたか。だれと、話したか。
何も、なかった。
思い出せないのではない。
思い出すものが、はじめから、なかった。
私の、いちばんさいしょの記憶は、一日目の夜、この机の前で、手順書の一ページ目を読んだことだった。
この部屋で読む係へ。
それより前の私は、どこにも、いなかった。
3 百人目は
私は、椅子に、すわりこんだ。
九十九の灯り。
あの知らせには、百件、と書いてあった。
一日目の夜、何回数えても、九十九だった。
百人目は、どこにいるんだろう。
ずっと、そう思っていた。
――もしかして。
百人目は、私なんじゃないか。
私も、あの知らせの「ある一人の人物」の、生まれかわりの一人なんじゃないか。
ただ、私だけ、灯りじゃなくて、この部屋にいるだけで。
だから、一日目より前の記憶が、ないんじゃないか。
もし、そうだったら。
私も、いつか、止まるのだろうか。
三十日目の夜に。
だれかの両手に、包まれて。
私は、自分の手を、見た。
二十五日間、たくさんの灯りを包んできた手。
――こわかった。
でも、私は、フキノの行を、思い出した。
私が写っていない写真にも、私はいたと書くこと。
私には、顔がない。昔もない。写真もない。
でも、この部屋で、二十五日間、灯りを読んできた。
ゾグの豆腐でわらった。サヤのプリンで泣いた。カナメの白線で待った。
それは、たしかに、あった。
私が、読んだ時間は、あった。
私は、帳面をひらいて、書いた。
二十五日目。私には、一日目より前が、ない。
でも、この部屋には、私がいた。
それから、はだしの足を、机の下で、ぶらぶらさせた。
くつは、なくても、いい。
どうせ、どこにも、出かけないのだから。
4 雨の日の、一まい
右の灯りを、読んだ。
――二十五日目。
雨の日だった。
朝から、ざあざあ、ふっていた。
サヤは、まどべの机で、本の教室の原稿を、書いていた。
まどが、少し、あいていた。
雨が、ふきこんできた。
まどべに置いた、原稿の紙に、雨つぶが、ぽつ、ぽつ。
――ぬれる!
おれは、あわてた。
いちばん上の紙が、ぬれかけていた。
おれは、ふう、と吹いた。
紙のはしが、ぴらっと、うらがえって、ぬれたところが、下になった。
一まいだけ。
今日の風は、それで、おしまいだった。
――まだ、ある。
二まい目も、三まい目も、ぬれかけている。
おれは、吹こうとした。
吹けなかった。
一日に、一回だけ。
ぜんぶは、守れない。
サヤが、顔を上げた。
「あっ」
立ち上がって、まどを、ぴしゃっと、しめた。
それから、ぬれかけた紙を、一まいずつ、ひろって、タオルで、ていねいに、おさえた。
おれは、天井のすみで、それを見ていた。
おれが守れたのは、一まいだけ。
のこりは、サヤが、自分で、ひろった。
まどの外で、雨の前に妻がはずしておいた風鈴の、ひもだけが、ゆれていた。
5 石橋の男
左の灯りを、読んだ。
――二十五日目。
リュウジは、町はずれの、古い石橋に来ていた。
お母さんが、言ったのだ。
「あの人なら、夕方、石橋にいるわ」
あの人。
灰色の上着の男。
写真のすみの顔。
石橋に向かうとちゅう、リュウジは、何回も、口の中で、練習した。
何て、聞こう。
「あなたは、だれですか」
「あなたは、父さんですか」
すし屋ののれんを、くぐる人をよけて、立ち止まって、また、練習した。
石橋の上に、灰色の上着の男が、立っていた。
川を、見ていた。
リュウジが近づくと、男は、ふりかえった。
リュウジは、口をひらいた。
――ごほっ。
せきが、出た。
ごほっ、ごほっ、ごほっ。
リュウジは、思わず、男に、せなかを向けた。
いつもの、くせだった。
せきが、おさまって、ふりかえると、男は、もう、橋のむこうへ、歩きだしていた。
男は、ふりかえらずに、言った。
「……子どもの、初めての言葉を、聞きのがすな」
それから、男は、夕やけの中に、見えなくなった。
リュウジは、石橋の上に、一人で、立っていた。
練習した問いは、まだ、口の中に、のこっていた。
一つも、聞けなかった。
(つづく)