1 にせものの、雪の運河
今夜止まるのは、ガンサクという、絵の鑑定士の灯りだった。
鑑定士というのは、絵が、ほんものか、にせものかを、見分ける仕事だ。
ガンサクは、町でいちばんの鑑定士だった。
――でも、ガンサクには、だれにも言えない、ひみつがあった。
若いころ、ガンサクは、にせものの絵を、かいていたのだ。
有名な画家の絵を、そっくりに、まねて。
お金のために。
一日目。
ガンサクのところに、一まいの絵が、鑑定に持ちこまれた。
雪の運河の絵。
雪のふる、しずかな運河と、そのおくに、小さな塔が見える絵だ。
ガンサクは、その絵を見て、こおりついた。
線に、見おぼえがあった。
――自分の線だった。
若いころ、自分がかいた、にせものだった。
持ち主のシラカベさんは、にこにこしながら、話した。
「この絵はね、うちの家族の、たからものなんです。父が買ってきて、ずっと、居間にかざってあって」
二日目から十八日目。
ガンサクは、なやんだ。
にせものだと言えば、自分のひみつも、ばれてしまう。
値段を、ひくくつけて、さっさと、おわらせてしまおうか。
証拠を、消してしまおうか。
でも、弟子のサワに、見られてしまった。
サワは、言った。
「先生。この絵の線、先生のくせと、同じですね」
ガンサクは、弟子に、ほんとうのことを話した。
それから、シラカベさんにも。
「この絵は、にせものです。……かいたのは、わたしです」
十九日目から二十三日目。
ガンサクは、ほんものの絵の写真と、にせものの絵を、ならべて見せた。
シラカベさんは、しばらく、二つの絵を見くらべていた。
それから、にせもののほうの、雪を指さした。
「でも、わたしは、こっちの雪が、好きなんです」
ガンサクは、シラカベさんの家の話を、聞いた。
この絵の前で、家族が、ごはんを食べたこと。
子どもが、絵の中の塔を、ゆびでなぞって、お話を作ったこと。
雪の日には、「絵と同じだね」と、みんなで、まどの外を見たこと。
――にせものの絵の前に、ほんものの、くらしがあった。
ガンサクは、はじめて、自分の名前で、小さな絵をかいた。
まねじゃない、自分の絵。
題名より先に、名前を、書いた。
手が、ふるえた。
今朝、ガンサクの封筒が、もどってきた。
うそは、そえない。絵を、返す。 ガンサク
今日。
ガンサクは、雪の運河の絵を、ていねいに、紙で包んだ。
「にせもの」と書いた紙も、「ほんもの」と書いた紙も、そえなかった。
そのかわり、一まいのメモを、はさんだ。
《この絵をかいた人の名前:ガンサク》
シラカベさんが、むかえに来た。
ガンサクは、絵をわたした。
「ゆるしてください」とは、言わなかった。
ゆるしを、お金のかわりにしたく、なかったから。
夜。
包みの紙のすきまから、雪の運河が、少しだけ、のぞいていた。
――頁は、そこで、止まっていた。
2 雪の運河を、見たことがある
私は、灯りを包んで、ガラス玉を、引き出しにしまった。
それから、覚え絵をかこうとして、手が、止まった。
雪の運河。
――私は、この絵を、前にも、見たことがある。
かべの覚え絵を、見わたした。
十八日目。塔を下りる人の話。
トワが、塔のとちゅうで、ふいた絵。
雪の運河の絵だった。
それから、ゆうべ読んだ、赤ちゃんの字幕の家。
リュウジのお母さんの家の、二階のかべ。
雪の運河の絵が、かかっていた。
ちがう世界。
ちがう家。
ちがう人。
なのに、同じ絵が、ある。
私は、かべの覚え絵を、ひとつずつ、見ていった。
四日目の、アヤメの店の、小さな毛糸の帽子。
――六日目の、赤ちゃんの家の玄関で、リュウジが娘にかぶせようとした、毛糸の帽子。
――二十一日目の、風のお父さんの家のアルバムで、赤ちゃんのサヤがかぶっていた、毛糸の帽子。
八日目の、ほこりをかぶった将棋盤。
――同じ夜、風のお父さんが、ほこりに風を吹いた、和室の将棋盤。
七日目の、キミコさんのまんじゅう。二十日目の、半分このまんじゅう。十八日目の、石橋の上のまんじゅうのつつみ。
三本足の猫。
――二十一日目の、タマ。
――二十日目の、生前葬の、ゴサクの家の玄関。
――赤ちゃんの家の、向かいの家のわきで、灰色の男がえさをやっていた猫。
横断歩道。白線。プリン。写真。はんこ。
あっちにも、こっちにも。
私は、かべの前で、立ちつくした。
九十九の人生は、ぜんぶ、ちがう人生だ。
宇宙人も、猫も、辞書も、一円玉も。
なのに、その中に、同じくらしのあとが、ある。
同じ絵。同じ猫。同じ食べもの。同じ道。
まるで――
一つの家の中にあったものが、九十九の人生に、ばらばらに、ちらばっているみたいに。
私は、そこで、考えるのをやめた。
いや、やめたかった。
でも、手順書の、あの行が、目に入った。
作り物の話でも、本当の暮らしが入っていれば、本物として渡すこと。
作りものの話。
――灯りの中の人生は、作りものなのだろうか。
私は、首をふった。
ちがう。
ゾグは、ほんとうに、豆腐がすきだった。
カナメは、ほんとうに、白線の上で待った。
シュウゾウは、ほんとうに、まんじゅうを半分こした。
どこから来た人生だとしても、あの人たちの「今日」は、ほんとうだった。
同じくらしのあとがあるからって、それぞれの今日を、なかったことには、できない。
私は、雪の運河の覚え絵を、かいた。
包み紙のすきまから、のぞいている、雪。
かべの、トワの絵の、となりに、はった。
3 まどの、白いもや
右の灯りを、読んだ。
――二十四日目。
妻とサヤは、物置の古い箱の中から、写真のアルバムを、もう一冊、見つけていた。
古い写真ばかりの、アルバム。
サヤが、一まいの写真を、ぬきだした。
写真館の、厚い台紙にはってある、古い写真だ。
家が、うつっていた。
――おれたちの家だ。
道の向かいの家の、二階から、こっちの家の二階のまどを、うつした写真。
ずいぶん、古い。まだ、家の外かべが、新しいころだ。
「ママ、これ、見て」
サヤが、写真の、すみを指さした。
こっちの家の、二階のまど。
その、まどの、いちばん上のすみに――
白い、もやが、ぼんやり、うつっていた。
けむりのような。
光のような。
小さな、白い、もや。
――おれは、天井のすみで、その写真を見た。
なんだろう。
知っている気がした。
でも、分からなかった。
説明できる何かに、すがりつきたかった。
光のかげんだ。レンズの、よごれだ。そうに、ちがいない。
妻が、言った。
「光のかげんでしょ」
それから、写真を、アルバムに、もどした。
サヤは、何も言わなかった。
写真を、もう一度、ちらっと見て、それから、ほんものの、まどのほうを見た。
こっちの家の、二階のまど。
いちばん上の、すみ。
おれは、今日の風を、アルバムのうすい紙に、吹いた。
ぴらっ、と、ページが、めくれて、写真が、また、見えた。
サヤは、まだ、まどを見ていた。
4 写真のすみの、顔
左の灯りを、読んだ。
――二十四日目。
リュウジは、お母さんの家に行くとちゅう、商店街の迷子センターの前を、通った。
《まいごのおしらせ おうちの人は、ここで待っています》
リュウジは、ちょっとだけ、足を止めた。
――待っている人は、どこで、待っているんだろう。
それから、また、歩いた。
お母さんの家で、古いアルバムを、見せてもらった。
写真館の台紙の、古い写真。
わかいころの、お母さん。
赤ちゃんのころの、リュウジ。
その中の一まい。
家族みんなで、うつっている写真の、すみっこに。
わかい男の人の顔が、はんぶんだけ、うつっていた。
――父さんだ。
小さいころに、いなくなった、父さん。
リュウジの記憶の中の、父さんの顔と、そっくりだった。
リュウジは、その顔を、じっと見た。
それから――思い出した。
この顔を、最近、見た気がする。
お母さんの家の玄関のわきで、三本足の猫に、えさをやっていた、灰色の上着の男。
――まさか。
リュウジは、写真を、ふせた。
見たくなかった。
あの男が、父さんに、にていてほしくなかった。
にていたら、どうすればいいのか、分からなかったから。
「母さん。……あした、母さん、どこにいる?」
「あした? 家にいるわよ。……どうして?」
リュウジは、答えなかった。
アルバムの写真は、どれも、だれかが、とったものだった。
とっている人は、うつっていない。
――父さんも、ぼくも、いつも、とる側だったんだな。
リュウジは、ふと、そう思った。
どこか遠くで、夜回りの人の、「火の用心」の声がした。
(つづく)