1 二人分の姉
今夜止まるのは、ソラの灯りだった。
ソラには、ふたごの妹がいる。
ウミという。
ウミは、病気で、ずっと、病院にいる。
学校にも、行けない。外にも、出られない。
だからソラは、毎日、二人分、学校を楽しむことにした。
自分の分と、ウミの分。
楽しかったことを、ぜんぶ、帳面に書いて、病院に持っていく。
「今日ね、給食、あげパンだった! 体育でね、ドッジボールでね!」
一日目。
ソラは、つまらなかった日のことは、書かなかった。
ウミに、楽しいことだけ、とどけたかった。
ウミは、ソラの帳面を、ぱたんと、とじた。
二日目から四日目。
ソラは、二人分の予定を、立てた。
ウミも、きっと、同じことを、したいはずだ。
ウミは、ちがう本が読みたい、と言った。
ソラは、本をえらびなおして、とどけた。
ほめてほしかった。
ウミは、言った。
「一人で、読むね」
ソラは、病院にいる時間を、どんどん、ふやした。
学校の友だちとの約束も、ことわった。
役に立っていないと、落ちつかなかった。
十六日目から二十一日目。
ソラは、二人の帳面を、べつべつにした。
なんだか、はなれていくみたいで、さびしかった。
ウミが、自分の読んでいる本を、ソラに、かしてくれた。
お医者さんから、ウミが一日だけ、外に出てもいい、と言われた。
ソラは、はりきった。
遊園地。観覧車。動物園。
遠くに行かないと、しっぱいだと思った。
でも、行き先を決めたのは、ウミだった。
「病院の、中庭がいい。まどのところ。あそこ、いちばん、空が広いの」
ソラは、心配で、何回も、何回も、聞いた。
「上着、持った? 寒くない? ほんとうに、中庭でいいの?」
ウミは、自分の上着を、自分で、たたんで、持った。
それから、ソラは、はじめて、ウミにたのみごとをした。
「ねえ、ウミ。……学校の、自由研究、手伝ってくれない? わたし、ぜんぜん、思いつかなくて」
ウミは、うれしそうに、まゆを、ぴくっと、上げた。
ソラは、二人の予定を、ならべて書いた。
同じ丸を、つけたくなった。
ウミが、自分のえんぴつを、取った。
今朝、ソラの封筒が、もどってきた。
中庭に出る。ウミが決めた場所に。 ソラ
今日。
ソラとウミは、病院の中庭に出た。
ゆるされた、ぎりぎりのところまで。
ウミは、車いすで、空を見上げた。
遠くに、遊園地の観覧車が、小さく、見えた。
ソラは、ちょっとだけ、観覧車を見た。
――行きたかったな。
それから、ウミの横顔を見た。
ウミは、観覧車じゃなくて、空を見ていた。
夜。
ソラの帳面と、ウミの帳面。
ならべて置いた二つの帳面に、べつべつの丸が、ついていた。
ソラの丸は、《中庭》。
ウミの丸は、《ソラと、空》。
――頁は、そこで、止まっていた。
手順書に、この行があった。
私がいなくなったあとのあの子の人生を、決めないこと。
2 手順書を、なおす
ソラの灯りを止めたあと、私は、手順書を、ひらこうとした。
――ぺらっ。
表紙のうらが、はがれかけていた。
二十二日間、毎晩、ひらいて、めくって、丸をつけて。
冊子が、つかれてしまったのだ。
とじ糸も、ゆるんでいた。
何ページかが、ばらばらに、なりかけていた。
私は、手順書を、とじなおすことにした。
ばらばらのページを、一まいずつ、ならべなおす。
順番どおりに。
一日目の夜に読んだとおりに。
ならべながら、私は、一行一行の、字を見た。
――そのとき、気がついた。
「こと」。
手順書の、ほとんどの行は、「〜すること」「〜しないこと」で、おわっている。
命令の字だ。
でも、その「こと」の字が、行によって、ちがった。
ある行の「こと」は、まっすぐ、しっかり、書いてある。
ある行の「こと」は、ほんの少し、ふるえている。
書く前に、えんぴつが、一回、止まったみたいに。
字の上に、うすく、えんぴつのさきを、トン、と置いたあとが、ある。
私がいなくなったあとのあの子の人生を、決めないこと。
この行の「こと」は、いちばん、ふるえていた。
書いた人は、この行を書くとき、ためらったのだ。
「決めないこと」と、書きながら。
――決めないこと、と、命令すること。
それも、じつは、決めていることなんじゃないか。
そう思って、えんぴつが、止まったのかもしれない。
それから、私は、もう一つ、気がついた。
「す」の字だ。
「すること」「残すこと」「渡すこと」。
この冊子の「す」は、ぜんぶ、さいごが、くるんと、小さく、まるまっている。
くせだ。
書いた人の、字のくせ。
私は、とじなおした手順書を、机の上に置いた。
それから、しばらく、その表紙を、なでていた。
命令ばかりの冊子だと、思っていた。
でも、この冊子を書いた人は、命令しながら、何回も、ためらっていたのだ。
3 お祭りの音
右の灯りを、読んだ。
――二十二日目。
サヤが、夕方、お祭りの準備から、帰ってきた。
太鼓のお手伝いだ。
ランドセルじゃなくて、手さげぶくろに、はっぴと、タオルと、食堂の食券が一まい、入っていた。
「ただいま! ねえ、きいて。太鼓の練習、すっごい音だった!」
サヤは、手で、ひざを、どんどんどん、とたたいて、太鼓のまねをした。
「どん、どん、どどん! おなかに、ひびくの!」
――知ってる。
おれは、天井のすみで、うなずいた。
あの音は、おなかに、ひびくんだ。
子どものころ、あの音が、大好きだった。
「……たたいて、みたくならなかったか」
おれは、聞いた。聞こえないけど。
サヤが、ぶたいの上で、ばちをふるうところが、見たかった。
手伝いじゃなくて。
サヤは、麦茶を飲みながら、言った。
「でね、わたし、思ったんだけど。太鼓って、たたく人より、聞く人のほうが、多いでしょ。だから、聞く人の席、ちゃんと作りたいの。いちばん、よく聞こえるとこに」
妻が、「いいわね」と言った。
――聞く人の、席。
おれは、今日の風で、テーブルの上の、お祭りのチラシのはしを、ぴらっと、はねさせた。
チラシには、会場の地図が、のっていた。
サヤは、それを見て、「あ、そうだ」と言って、えんぴつで、地図のまんなかに、丸をつけた。
4 白線の手前
左の灯りを、読んだ。
――二十二日目。
リュウジは、会社の帰り道、横断歩道の前で、立ち止まった。
信号は、赤だった。
ごほっ。ごほっ、ごほっ。
せきが、止まらなかった。
リュウジは、白線の手前で、体をまるめて、口をおさえた。
まわりの人に、聞かれたくなかった。
信号が、青にかわった。
せきは、まだ、止まらなかった。
リュウジは、次の青まで、白線の手前で、待った。
だれにも、見られないように、せきを、かくして。
家に帰ると、お母さんが、来ていた。
「診療所、行った?」
「……仕事が、いそがしくて」
お母さんは、リュウジの頭の上を、じっと見た。
それから、しずかに言った。
「あなた、せきが出ると、いつも、みんなから、はなれるわね。子どものころから、そう」
リュウジは、何も言えなかった。
ポケットの中で、隣町行きの切符が、くしゃっと、なった。
あしたの、仕事の出張の切符だった。
診療所に行く日は、また、のびた。
(つづく)