1 かべのほうを向いた椅子
朝になっても、椅子は、かべのほうを向いていた。
ゆうべ、私がおしやった椅子。
十六日目の別紙を読んで、「それは、ありません」を読んで。
だれもすわっていない椅子を、ずずっと、かべまで。
私は、引き出しを、あけなかった。
ガラス玉を、ならべなおさなかった。
そででふくのも、やめた。
どうせ、もう、光らないのだから。
仕事は、しなくちゃいけない。
今朝も、封筒を二通、出した。
今夜止まる、二つの世界へ。
でも、手が、重かった。
もどらないなら、なんのために、止めるんだろう。
なんのために、残す言葉を聞いて、玉をしまって、覚え絵をかくんだろう。
ぜんぶ、どこにも、とどかないのに。
私は、手順書を、なんとなく、めくった。
何か、答えが書いてある気がして。
ある行で、指が止まった。
ゆうべ止めた、勇者アルトの世界と、にている行だった。
止まる世界から手紙が来たら、引き出しにしまうこと。捨てないこと。
――すてないこと。
私は、その行を、じっと見た。
もどらないから、すてていい、とは、書いていない。
もどらないけど、しまっておけ、と書いてある。
もどってくるからしまうんじゃない。
すてないために、しまうのだ。
アルトとミアの手紙は、もう、だれにも、とどかない。
でも、二人は、手紙を燃やせなかった。
とどかなくても、書いたことは、なくならないから。
私は、引き出しを、あけた。
ガラス玉が、ならんでいた。
ゆうべ、ほったらかしにした、玉。
私は、一つずつ、そでで、ふいた。
光らない玉を。
それから、立ち上がって、かべのほうを向いていた椅子を、机のところまで、もどした。
机の向かいに、ちゃんと、置いた。
机の上の紙が、読みやすい高さに。
だれかが、すわって、私の書いたものを、読めるように。
だれが読むのかは、分からない。
だれも、読まないかもしれない。
でも、椅子は、そこに、置いておく。
2 七不思議の、階段
一つめは、ダンダンの灯りだった。
ダンダンは、階段だ。
古い小学校の、東のはしの、階段。
――そして、その学校の「七不思議」の一つだった。
《夜中に数えると、東の階段は、一段ふえている》
それが、ダンダンの七不思議だ。
でも、ほかの七不思議――トイレの花子さんとか、音楽室のピアノとか――にくらべると、ダンダンは、ちっとも、こわがられていなかった。
「一段ふえるだけ? ふうん」
それで、おしまい。
一日目。
学校が、もうすぐ、なくなることになった。
子どもが、少なくなったからだ。
さいごに、「七不思議の怪談会」を、ひらくことになった。
ダンダンは、いちばん、こわくない七不思議だと言われて、すねた。
しかも、リカという女の子が、ぜんぜんこわがらずに、階段を、数えはじめた。
「いち、に、さん……」
二日目から六日目。
ダンダンは、こわがらせようと、がんばった。
段を、ほんとうに一段、ふやしてみた。
小さな子が、つまずいた。
ダンダンは、あわてた。
リカは、ものさしを持ってきて、段の高さを、一段ずつ、はかりはじめた。
――さいごの一段だけ、ほかより、低かった。
七日目から十日目。
リカは、学校の古い帳面を、さがしてきた。
大工さんが、階段を直したときの記録だ。
さいごの一段は、あとから、つけたされたものだった。
昔、足のみじかい一年生が、さいごの段を上がれなくて、こまっていた。
それを見た用務員さんが、大工さんにたのんで、低い段を、一つ、つけたしたのだ。
一段ふえる、七不思議。
その正体は、小さな子のための、やさしい一段だった。
ダンダンは、がっかりされると思った。
こわくない。ぜんぜん、こわくない。
七不思議じゃなくなってしまう。
でも、リカは、その低い段に、そっと、足をのせて、言った。
「これ、すごいね」
十一日目から十六日目。
怪談会の題名が、変わった。
《ほんとうは、こわくない七不思議の会》
花子さんも、音楽室のピアノも、手伝いに来た。
みんなで、自分の昔の失敗を話した。
七不思議たちが、はじめて、大わらいした。
怪談会の日、一年生の小さな弟が、階段に来た。
ダンダンは、その子の足に合わせて、さいごの段を、ほんの少しだけ、低くした。
だれも、気がつかなかった。
――リカだけが、気がついて、階段に、手をふった。
今朝、ダンダンの封筒が、もどってきた。
さいごの登校を、見おくる。 ダンダン
今日は、学校の、さいごの日だった。
子どもたちが、ランドセルをせおって、東の階段を、下りていく。
一段、一段。
さいごの、低い一段も。
ダンダンは、よびとめたかった。
行かないで、と。
でも、だまって、見おくった。
夜。
だれもいない階段の、さいごの段の上に、みじかいものさしが、一本、のこっていた。
リカのわすれものだった。
――頁は、そこで、止まっていた。
3 いわしの、おくれた一ぴき
二つめは、いわしの灯りだった。
五万びきの、いわしの群れ。
その中の、一ぴき。
主人公のいわしは、いつも、半拍、おくれた。
群れが、右に曲がる。
ちょっとおくれて、右に曲がる。
群れが、左に曲がる。
ちょっとおくれて、左に曲がる。
おくれるのが、はずかしかった。
だから、おくれていることを、かくしていた。
ある日、群れから、はぐれた。
となりにいた、サンという一ぴきだけが、ついてきてくれた。
サンにも、体に、きずがあった。
サンも、前の群れを、なくしたのだ。
二ひきは、いっしょに、泳いだ。
主人公は、おくれて泳ぐ道に、エサがあることを知った。
みんなとちがう速さでしか、見えないものがあった。
元の群れに、もどれた。
でも、サンは、群れの輪に入れてもらえなかった。
「泳ぐ速さが、ちがう」と言われて。
主人公は、群れの中で、自分の「半拍おくれ」を、合図に使ってみた。
うしろの魚が、それに合わせて、曲がった。
小さな列が、群れの中に、できた。
大きなかげが来たとき、その小さな列は、あみを、よけた。
今朝、いわしの封筒が、もどってきた。
ちがう速さの、となりを泳ぐ。 いわし
今日。
主人公は、サンのとなりを、泳いだ。
同じ速さじゃない。
ちがう速さで、となりを。
夜。
水の中に、小さな輪が、のこっていた。
二ひきが、同時に、くるりと回ったあとだった。
――頁は、そこで、止まっていた。
手順書に、この行があった。
あの子を、群れの一匹にしないこと。
4 書いた人の、くせ
私は、二つの玉を、引き出しにしまった。
今夜は、ていねいに。
止めた順に、ならべて。
それから、手順書を、ひらいた。
丸をつけた行を、はじめから、読みなおした。
見えない仕事をした人のことも、帳面に残すこと。
届いたありがとうは、受け取ったと書くこと。
この物語を、私をほめるための仕掛けにしないこと。
あの子を、群れの一匹にしないこと。
読みながら、私は、ふしぎな気持ちになった。
この手順書を書いた人は、なぜ、こんなことを、わざわざ書いたのだろう。
「ほめるための仕掛けにしないこと」
――ほめられたいと思ったことが、あるからじゃないか。
「群れの一匹にしないこと」
――みんなと同じにしたいと思ったことが、あるからじゃないか。
「受け取ったと書くこと」
――ありがとうを、受け取れなかったことが、あるからじゃないか。
ほめられたくて、話をもってしまう。
みんなとちがうのが、こわくて、かくしてしまう。
ありがとうを、まちがいだと思って、つきかえしてしまう。
それは、ぜんぶ、この部屋の灯りの中の人たちの、弱いところだった。
ゾグも、アヤメも、ハナも、タイシも、いわしも。
――もしかして。
この手順書を書いた人も、同じ弱さを持っていたんじゃないだろうか。
灯りの中の人たちと、同じ、弱いところを。
だから、こんなに、ぴたりと、かさなるんじゃないだろうか。
私は、そこで、考えるのをやめた。
わからない。
ただの、思いつきだ。
まだ、何も、たしかめていない。
5 寝る前の話
右の灯りを、読んだ。
――十七日目。
サヤが、夜、ふとんの中で、ノートに、何か書いていた。
本の教室の、宿題だ。
おれが、昔、ねる前に話してやった話。
青いきつねが、塔をのぼる話。
おれの話では、きつねは、塔のてっぺんで、お月さまに、ねがいごとをする。
そして、めでたし、めでたし。
サヤは、そのつづきを、書きかえていた。
《きつねは、塔のてっぺんまで、のぼりました。でも、ねがいごとは、しませんでした。かわりに、塔から下りて、ふもとの村の、パン屋さんで、パンを買いました。おいしかったので、もう一つ、買いました。》
――ちがう。
そこは、ねがいごとをするところだ。
おれの話では、そうなっているんだ。
おれは、ノートのページに、ふう、と吹こうとした。
めくって、前のページの、おれの話にもどしたかった。
――でも、やめた。
サヤは、書きおえたノートを、ぱたんと、とじなかった。
ひらいたまま、まくらもとに置いて、ねむった。
つづきを、また、あした書くのだろう。
それとも、だれかに、読んでもらうのだろうか。
おれは、今日の風を、ノートのページには、使わなかった。
かわりに、まくらもとの電気スタンドの、うすいかさの紙に、ふう、と吹いた。
かさが、ゆらっと、ゆれて、光が、ノートの上を、なでた。
つづきは、サヤが、書けばいい。
おれの話は、もう、サヤにわたしたのだ。
6 きみの声が
左の灯りを、読んだ。
――十七日目。
おくさんが、実家から、帰ってきた。
リュウジは、玄関で、おくさんをむかえた。
娘が、おくさんを見て、手をばたばたさせた。
頭の上に、字が出た。
《ママ》《ママ》《ママ》
その夜。
リュウジは、台所のテーブルで、おくさんと、向かいあってすわった。
それから、言った。
「……あのさ。前に、この子が、きみが子もり歌を歌ってるとき、頭の上に、字を出したんだ。《ママのこえ、すき》って」
おくさんが、目を、まるくした。
「ずっと、言えなかった。きみには、字が見えないから。しょうこが、ないから。なぐさめで、言ってると思われるのが、いやで」
娘の頭の上に、今は、何も出ていなかった。
しょうこは、ない。
リュウジは、つづけた。
「でも、しょうこなんか、いらなかった。……ぼくも、きみの声が、好きなんだ」
おくさんは、しばらく、だまっていた。
それから、立ち上がって、自分のいすを、リュウジのとなりまで、ずずっと、引っぱってきた。
すわりなおした。
「じゃあ、今度は、わたしの話も、聞いて」
(つづく)