1 私の、ないしょ
私には、ないしょにしていることが、一つある。
机の引き出しの中には、ガラス玉が、たくさん入っている。
止めた灯りの、なれのはてだ。
すきとおっていて、つめたくて、光らない。
私は毎晩、仕事がおわると、引き出しをあけて、玉をならべなおす。
止めた順に、きちんと。
ほこりがついていたら、そでで、きゅっきゅっとふく。
なぜ、そんなことをするのか。
だれにも言っていない。言う相手も、いないけれど。
――さいごの日になったら、ぜんぶ、また光るんじゃないか。
そう思っているのだ。
手順書には、そんなこと、どこにも書いていない。
でも、書いていないということは、ないとも書いていない、ということだ。
三十日目の夜、たなの灯りがぜんぶ、ぽわんと、もとどおりに光る。
カナメも、バトも、ゾグも、みんな、頁のつづきから、また歩きだす。
そういうことが、あるかもしれない。
だから私は、玉を、大事にしまっている。
いつか、また光ったときに、ちゃんと、たなにもどせるように。
今日は、十六日目。
手順書の一ページ目に書いてあった日だ。
十六日目に、知らせの別紙が届きます。
どんな紙が来るのだろう。
私は、ちょっとだけ、わくわくしていた。
2 勇者と魔王の、文通
今朝、封筒を二通、出した。
今夜止まる、二つの世界へ。
一つめは、勇者アルトの世界だ。
アルトは、魔王をたおすために旅をしている勇者だ。
強い。かっこいい。村の子どもたちのあこがれだ。
でも、ほんとうは、弱音をはくのが、へたくそだった。
仲間の前では、いつも「平気だ」と言う。
足にまめができても、平気だ。
宿のごはんがまずくても、平気だ。
だからアルトは、手紙を書いた。
あて先の分からない、ぐちの手紙だ。
《足が痛い。もう歩きたくない。宿のスープに、なぜか靴下の味がする》
それを、びんに入れて、川に流した。
そしたら――返事が来た。
《わかる。うちの料理番のスープも、ぞうきんの味がする》
それから、二人の文通がはじまった。
すきな食べ物。まずい料理。部下のぐち。
好きな煮物が、同じだった。大根と、すじ肉の煮物。
アルトは、手紙を書くのが楽しみになった。
仲間には言えないことが、手紙になら、書けた。
ところが。
手紙の封のはんこが、どこかで見た形だった。
そう、手配書だ。
魔王の城の、はんこだった。
文通の相手は――魔王ミアだったのだ。
アルトは、手紙を燃やそうとした。
燃やせなかった。
ミアも、同じだった。
勇者だと気がついても、返事を書くのを、やめられなかった。
そして、二人は、会うことにした。
戦うためじゃない。
中立の宿で。
部下には、「話を聞くだけだ」と言って。
きのう、二人は、はじめて同じ机についた。
アルトは、つい、昔の悪口を言ってしまった。
「おまえの手下に、村の畑をあらされた」
ミアは、目をふせた。それから、顔を上げて言った。
「それも、聞く」
今朝、アルトの封筒は、こうなってもどってきた。
ミアの話を、さいごまで聞く。
ぼくの話も、さいごまで言う。
戦争をおわらせる、とは、書いていなかった。
なかなおりする、とも、書いていなかった。
その日、二人は、机にむかいあってすわった。
それぞれの前に、相手からもらった手紙のたばを置いて。
「手紙じゃなくて、口で言う」
アルトが言った。
「……わたしも」
ミアが言った。
アルトは、息をすって、言った。
「足が痛いのは、ほんとうだ。スープが靴下の味なのも、ほんとうだ。仲間には、言えなかった。おまえにしか、言えなかった」
ミアは、しばらくだまっていた。
それから、言った。
「わたしは、魔王をやめたいと思ったことがある。部下には、一度も言ったことがない」
二人は、すぐには、ゆるし合えなかった。
畑のことも、戦いのことも、まだ、たくさんあった。
でも、どちらも、席を立たなかった。
夜。
宿の机の上に、ひらいたままの手紙が、二通、ならんでいた。
アルトの字と、ミアの字。
――頁は、そこで止まっていた。
3 雲の紙
二つめは、ミノルという男の人の世界だ。
ミノルは、子どものころ、空の天気を調べる人になりたかった。
でも、大人になって、その夢を、戸棚のおくにしまいこんだ。
「どうせ、もうおそい」と言って。
それから、ミノルは、毎晩、宇宙へ行く夢を見るようになった。
でも、夢の中の扉は、いつも、あかなかった。
この十六日で、ミノルは、少しずつ、夢を戸棚から出した。
古い星の本を読んだ。
へたくそな雲の絵をかいた。
大人ばかりの講座で、いちばん最初の問題をまちがえた。
となりの人も、同じところを消しゴムで消していた。
今朝、ミノルの封筒は、こうなってもどってきた。
今夜の雲を、書く。
夜。
ミノルは、屋上に、いすを出した。
空を見上げて、ノートに書いた。
《うすい雲。西から東へ。星が三つだけ見える》
ゆめがかなった、とは、まだ言えなかった。
でも、ミノルは、その紙を、星の本のあいだに、大事にはさんだ。
――頁は、そこで止まっていた。
4 ネネ、もう一回
止める前に、私は、いちばん明るい灯りを、二つ読んだ。
一つは、赤ちゃんの字幕の家だ。
わかいお父さんのリュウジは、四日前から、赤ちゃんと二人きりだった。
お母さんが、実家で少し休むことになったのだ。
「大丈夫、大丈夫」
リュウジは、大きな声で言って、お母さんを送り出した。
大丈夫じゃなかった。
夜中。
赤ちゃんが、泣きやまない。
ミルクをあげても。だっこしても。おむつをかえても。
リュウジは、もう何日も、ちゃんとねむっていなかった。
赤ちゃんの頭の上に、字は出ていなかった。
泣いているときは、字が出ないことがあるのだ。
リュウジは、字幕の帳面をひらいた。
これまで書きうつしてきた、娘の字が、ならんでいる。
《ぱぱ、すき》は、なかった。
《これ、とれる?》《まんま》《ねむい》《やだ》。
リュウジは、泣いている娘の頭の上を見つめて、つぶやいた。
「ネネ、もう一回出してくれ…」
何か、字を出してくれ。
ぼくを、安心させてくれ。
――言ってから、リュウジは、はっとした。
泣いているのは、娘だ。
こまっているのは、娘だ。
なのに、ぼくは、娘に、ぼくをなぐさめてくれと、たのんでいる。
リュウジは、帳面を、とじた。
字を見るのを、やめた。
それから、泣いている娘のとなりに、だまってすわった。
何もしないで。ただ、となりに。
娘は、しばらく泣いていた。
それから、リュウジのシャツのすそを、ぎゅっとつかんだ。
5 双眼鏡
もう一つは、風のお父さんの家だ。
サヤが、学校から、わらいながら帰ってきた。
「ただいまー! ねえママ、聞いて!」
近所の公園で、カラスを調べているおじさんに会ったのだという。
おじさんは、サヤに双眼鏡を貸してくれた。
ピントの合わせ方も、教えてくれた。
「でね、そのおじさん、双眼鏡を反対向きにのぞいて、『カラスが、すごく遠くにいる!』って、三分くらい、本気でおどろいてたの!」
サヤは、おなかをかかえてわらった。
お母さんも、わらった。
天井のすみで、風のお父さんは、むすっとしていた。
――双眼鏡の使い方なら、おれが教えてやりたかった。
――おかしな話でサヤをわらわせるのは、おれの役目だったのに。
知らないおじさんに、自分の場所をとられた気がした。
風は、今日の分を、まだ使っていなかった。
何か、吹いてやろうか。そのおじさんの話を、じゃましてやろうか。
そのとき、サヤが、たなの上の、お父さんの写真のほうをむいた。
へんな顔でわらっている、あの写真だ。
「パパにも教えてあげる。双眼鏡はね、反対にのぞくと、遠くなるんだよ。パパも、ぜったい、まちがえそう」
風のお父さんは、ぽかんとした。
それから、わらった。
――まちがえそう、じゃない。
――まちがえたことが、ある。
おまえが、三歳のときの、動物園で。
風のお父さんは、写真の前の、うすい紙のメモに、ふう、と吹いた。
メモのはしが、ぴらっと、はねた。
サヤは、「ほらね」と言って、わらった。
6 十六日目の別紙
私は、両手で、灯りを二つ、包んだ。
勇者の灯り。雲の灯り。
光が、手のひらにしみこんで、ガラス玉が二つになった。
さいごに光の中に見えたのは、ひらいたままの二通の手紙と、本にはさんだ雲の紙だった。
私は、それを覚え絵にかいて、かべにはった。
それから、二つの玉を、引き出しにしまった。
いつものように、止めた順に。
「また、あとでね」
私は、小さな声で言った。
――そのとき。
机の上に、一まいの紙が、とどいていた。
十六日目の、知らせの別紙だ。
私は、紙をひらいた。
字は、一行だけだった。
最後の日に、この世界線の全てが動き出すと思っているかもしれませんが、それはありません
私は、その一行を、読んだ。
もう一回、読んだ。
三回目は、読めなかった。
字が、ぼやけて見えた。
――それは、ありません。
さいごの日に、ぜんぶ、また光ることは、ない。
カナメは、もう、はだしの子のとなりから、走りださない。
ゾグは、もう、豆腐屋の戸をあけない。
アルトとミアは、あの机の前で、ずっと、手紙をひらいたまま。
私は、引き出しを見た。
きちんとならんだ、ガラス玉。
止めた順に。そででふいて、ぴかぴかにして。
だれかが、知っていたのだ。
私が、こうやって、ないしょで、のぞんでいることを。
十六日目に、この紙がとどくように、一日目より前に、ちゃんと、用意していたのだ。
私は、立ち上がった。
机の向こうの、だれもすわっていない椅子が、目に入った。
一日目の夜から、ずっと、そこにある椅子。
私は、四日目の夜、その椅子を、机のほうへむけた。
だれかが、すわってくれるような気がして。
私は、その椅子を、両手でつかんで――
ずずっと、かべまで、おしやった。
椅子は、かべにぶつかって、止まった。
だれもすわっていない椅子が、かべのほうをむいて、ぽつんとしていた。
私は、自分の椅子にすわりなおした。
もどらないなら。
もう、どこにも、つづかないなら。
――私は、なんのために、この玉を、しまっているんだろう。
たなの灯りが、ぽわん、ぽわん、と光っていた。
あした止める灯りも、その次の日に止める灯りも。
みんな、何も知らないみたいに、あたたかい色で、光っていた。
(つづく)