1 はじめての、朝の封筒
今日は、たくさんの灯りが止まる日だ。
たなの灯りが、いつもより、ちらちらと、ゆれている。
くらくなりかけた灯りが、あっちにも、こっちにも。
宇宙人ゾグの灯りも、その中にあった。
きのうの夜、私は、手順書の中に、こんな行を見つけていた。
十三日目からは、止まる日の朝に、知らせを出すこと。
これまでは、止まる前の夜に、封筒を出していた。
止まる人は、ねる前に、残す言葉を書く。
でも、それだと、止まる日の一日を、ふつうにすごすことになる。
知らないまま、おわっていく。
今日からは、ちがう。
朝に、知らせる。
止まる人は、今日がさいごだと知ったうえで、一日をすごせる。
それがいいことなのか、こわいことなのか、私には分からなかった。
私は、朝いちばんに、封筒を書いた。
一通、一通。
今夜止まる、たくさんの世界へ。
今夜、この世界は止まります。
残したい言葉があれば、この紙にどうぞ。
封筒は、ふしぎな封筒だ。
手がなくても、口がなくても、残したい言葉を思うだけで、字になって、ここへもどってくる。
お昼ごろから、ぽつり、ぽつりと、封筒がもどってきはじめた。
窯を、弟子にわたす。
空の衛星に、ありがとうを言う。
きょうは、ふつうにすごす。いつもどおり、空を見上げてもらえたら、うれしい。
さいごの一通は、地球からだった。
地球が、封筒を書いたのだ。
夕方、ゾグの封筒が、もどってきた。
おばあさんの店に行く。
すきなものを、すきと言って、豆腐を買う。
悪口の報告をやめる、とは、書いていなかった。
地球を守る仕事は、まだ、つづけるのだ。
ただ、今日は、豆腐を買いに行く。
2 宇宙人ゾグの、さいごの一日
ゾグの灯りを、私は、一日目から、ずっと読んできた。
地球を守るために、地球の悪口を、星へ報告しつづけた宇宙人。
毎朝、商店街の豆腐屋さんに行って、「ほかに開いている店がないだけだ」と言いはる宇宙人。
三日目、たいへんなことが起きた。
星から、使者が来ることになったのだ。
ゾグの報告があまりにひどいので、「ほんとうにそんなにひどいのか、見に行く」と。
しかも、調べる場所に、あの豆腐屋さんが選ばれた。
ゾグが、いちばん悪口を書いた店だったから。
ゾグは、あわてた。
豆腐屋さんを、わざとまずそうに見せようとした。
店の前に「本日の豆腐、かたい」と、はり紙をした。
常連のおじいさんに、ものすごくおこられた。
六日目。
ゾグは、店の戸をしめて、正体をかくそうとした。
そのとき、おばあさんが、あっさり言った。
「あんた、その耳。遠くから来た人でしょう。とっくに知ってたよ」
一日目、おばあさんが、ちらっとゾグの耳を見た、あのときから。
八日目。
使者が、店に来た。
豆腐を一口食べて――残した。
ゾグは、ほっとした。
ほっとしたのに、なぜか、むねがちくっとした。
あとで分かった。
使者は、豆腐の食べ方を、知らなかっただけだった。
しょうゆをかけるということを、知らなかったのだ。
十日目。
ゾグは、使者に、スプーンをわたした。
しょうゆを、ちょっとだけたらした。
「……こうだ」
使者は、もう一口食べた。
それから、言った。
「この食べ物について、もっとくわしく報告せよ」
ゾグは、こまった。
くわしく書けば書くほど、好きなのが、ばれてしまう。
だから、十一日目、ゾグは、せいいっぱいの悪口を書いた。
《地球の豆腐は、ぷるぷるしていて、たよりない。つるんとして、つかみどころがない。ほんのりあまくて、はっきりしない。しょうゆをたらすと、さらにあいまいな味になる。住む価値なし》
――読めば読むほど、おいしそうだった。
十二日目の夜。
ゾグは、報告を送ってから、鏡の前で、練習した。
「すきだ」
たった三文字。報告よりずっと短いのに、声が出なかった。
外で、豆腐屋さんの、店じまいのシャッターの音がした。
そして、今日。
朝。
ゾグは、封筒に、残す言葉を書いた。
それから、いつもの道を歩いた。
いつもの商店街。いつものはしっこ。
いつもの、小さな豆腐屋さん。
「おや、来たね」
おばあさんが、水の中から、豆腐をすくおうとした。
ゾグは、その手を見た。
しわしわで、あったかそうな手。
十三日間、毎朝、見てきた手。
ゾグは、顔が熱くなった。
おばあさんの顔を、まっすぐ見られなかった。
だから、豆腐の入った水のほうを見ながら、言った。
「……ここの豆腐が、すきだ」
おばあさんの手が、止まった。
「地球で、いちばん、すきだ。ずっと、すきだった。……一丁、ください」
おばあさんは、何も言わなかった。
ただ、豆腐を、ゆっくり、ていねいにすくって、つつみに入れた。
それから、もう一丁、足した。
一日目と、同じように。
「知ってたよ」
おばあさんは言った。
「あんた、毎朝、ここでいちばんいい顔してたもの」
その夜。
ゾグの部屋のテーブルに、からっぽのお皿が一まい、あった。
そのとなりに、豆腐のつつみの紙が、ていねいにたたんで、置いてあった。
ゾグは、窓の外の、地球の夜を見ていた。
星へ送る報告の画面が、光っていた。
今夜は、なんと書くのだろう。
――頁は、そこで止まっていた。
私は、しばらく、手をかざしたままでいた。
報告の画面は、白いままだった。
ゾグが、さいごの夜に、星へ何を書いたのか。
私には、読めない。
もう、だれにも、読めない。
でも、私は、知っている。
ゾグは、今日、豆腐を「すきだ」と言った。
それは、ちゃんと、読んだ。
3 窯の火
もう一つ、どうしても、ていねいに読みたい灯りがあった。
途中の国の、ハツの灯りだ。
途中の国は、へんな国だ。
何もかもが、「作りかけ」のまま。
家も、橋も、時計台も、ぜんぶ、どこか一か所だけ、できあがっていない。
「完成させてはいけない」という、昔からの決まりがあるのだ。
ハツは、れんがを焼く人だった。
町の、くずれた壁と、鐘をつるす台を、直したかった。
でも、ハツは、こわかった。
完成させたら、決まりをやぶることになる。
ほんとうは、それより、自分の作ったものが、ちゃんと立っていられるかが、こわかった。
私は、この灯りを止める前に、覚え絵を、先にかいておいた。
ハツが、大きな窯の前で、弟子に、胸をはって、れんがの道具をわたしている絵だ。
りっぱな、ゆずりわたしの場面。
きっと、そうなると思ったから。
でも、今日の頁は、ちがった。
朝、ハツは、封筒に「窯を、弟子にわたす」と書いた。
それから、弟子の前で、窯の火を見ながら、言った。
「ほんとうはね。次に焼くれんがが、どんな色になるか、見たかった」
ハツは、胸をはっていなかった。
窯の中を、のぞきこんでいた。
次のれんがを、見たくて、見たくて、たまらない顔で。
それから、ハツは、弟子に、窯をまかせた。
夜。
窯の中で、小さな種火が、ちろちろとゆれていた。
――頁は、そこで止まっていた。
私は、先にかいた覚え絵を、見た。
胸をはった、りっぱなハツ。
ちがう。
これは、私が、こうだったらいいと思って、かっただけの絵だ。
私は、その絵の上に、新しい紙をはった。
そして、かきなおした。
窯の中をのぞきこむ、ハツの横顔。
次を見たがっている、手。
かきながら、私は、手順書の中の一行を思い出していた。
私が書き始められなかった最後の頁は、読むあなたに託すこと。
ハツの世界と、この一行は、どこか、にている。
完成させるのがこわくて、次の人に、まかせる。
これを書いた人も、ハツと同じだったのだろうか。
こわくて、書きはじめられなくて。
次を見たかったのに、見られなくて。
書いた人も、こんなふうに、まよったのだろうか。
4 つぎつぎに
その夜、私は、たくさんの灯りを止めた。
ひとつひとつ、両手で包んだ。
どの灯りにも、さいごの光の中に、何か一つ、見えるものがあった。
逃げる王冠を追いかけていた、冠役のシュカ。
王さまを決めるための手がらを、さいごに、追わなかった。
かわりに、友だちのイトと、丘で、たこをあげた。
夜。シュカの指に、まきおえたたこ糸のあとが、赤く残っていた。
地球。
自分のことを、人間に、空を見上げて見てほしかった地球。
さいごの一日、地球は、何もしなかった。
いつもどおりの一日を、ただ、ながめていた。
夜。どこかの屋根の上で、だれかが、観測帳を小さな灯りでてらして、空を見上げていた。
テニスの、カリン。
ずっとうらやましかった相手の、となりのコートに、白い線を引いた。
「まだ、うらやましいよ」と言いながら。
夜。ベンチに、ラケットが二本、ならんでいた。
犬を育てて、旅立たせる人、フク。
小さな犬を、それを必要としている男の子に、わたした。
呼びもどしたい口を、ぎゅっと、とじて。
夜。からっぽの敷物に、犬の形のくぼみが、残っていた。
秘密基地のダイチ。
片づけなくちゃいけない基地の地図を、家ののき先にはった。
「ここに来れば、いつでもあるから」
夜。のき先に、椅子が六つ、ならんでいた。
迷子を届ける仕事の、エミ。
いつも人を案内してばかりだったエミが、自分の足で、お父さんの店に行った。
さいしょの「ただいま」が、なかなか言えなかった。
夜。お子さまランチのお皿に、小さな旗が一本、立っていた。
おうむと暮らす、トキおばあさん。
おうむは、なくなったおじいさんの声で、「おかえり」と言う。
トキは、さいごの日、鳥かごを、窓ぎわによせた。
夜。アルバムの台紙に、映画の切符が、半分だけ、はさまっていた。
衛星の係の、レイ。
何十年も、空の上の衛星を見守ってきた。
その衛星が、役目をおえる。
レイは、仕事の時間がおわってから、ひとりで、空にむかって言った。
「ありがとう」
返事は、来なかった。
夜。机の上で、受信の紙が、ぴたりと止まっていた。
種を守る、オリザ。
さいごの種を、土にまいた。
水さしを、となりの人の手にわたした。
「花を、見たかったなあ」
夜。土に、細い、細い、われめができていた。
一度も出番のない消防団の、ゴウキ。
なにも起きない町で、道具をみがきつづけた。
さいごの日、道具を、次の人のために、きちんとならべた。
「出番、ほしかったなあ」
夜。たなに、火の用心の拍子木が、そろえて置いてあった。
すし屋のセン。
師匠の店の、道の向かいに、自分の店を出した人。
さいごの日、自分ののれんと、師匠ののれんを、一まいにぬいあわせた。
夜。針の先に、ぬいかけの布が、ひっかかっていた。
十三分しか演奏できない舞台で、ラッパをふく、チカクラ。
仲間の音を、ぜんぶ入れた、短い曲を、さいごまでふききった。
夜。楽譜に、仲間たちのえんぴつの書きこみが、いっぱい残っていた。
5 一まいの、大きな覚え絵
いつもなら、止めた灯りの数だけ、覚え絵をかく。
でも、今夜は、紙が足りなかった。
だから私は、紙を何まいも、のりでつなげた。
横に、横に。
大きな、大きな、一まいの紙にした。
そこに、ぜんぶ、かいた。
豆腐のつつみ。窯の種火。たこ糸。観測帳の灯り。二本のラケット。敷物のくぼみ。六つの椅子。オムライスの旗。切符の半分。受信の紙。土のわれめ。拍子木。ぬいかけの布。楽譜のえんぴつ。
ちがう世界の、ちがう家の、ちがう人の物。
なのに、一まいの紙の上にならべると、
なんだか、一つの家の中みたいに見えた。
私は、その紙を、かべのいちばん広いところに、はった。
引き出しをあけた。
今夜しまったガラス玉が、ずらりとならんでいた。
ゾグの玉は、いちばん手前に置いた。
「ゾグ」
私は、小さな声で言った。
「豆腐、すきって、言えたね」
玉は、光らなかった。
つめたくて、すきとおっていた。
6 おばあちゃんの目
仕事のおわりに、私は、いちばん明るい灯りに、手をかざした。
赤ちゃんの字幕の家だ。
わかいお父さんのリュウジは、赤ちゃんと二人きりの、二日目の夜だった。
ミルクを作ろうとして、こまっていた。
お湯の温度が、分からない。
粉を、何ばい入れたか、わすれた。
赤ちゃんは、泣いている。頭の上には、《まんま》《まんま》《まんま》。
リュウジは、とうとう、電話を取った。
道の向かいの家に住む、自分のお母さんへ。
「……ごめん。ミルクの作り方、教えて」
一人でできるお父さんに、見られたかった。
でも、できなかった。
お母さんは、すぐに、道をわたって来てくれた。
ミルクを作って、赤ちゃんに飲ませた。
赤ちゃんの頭の上に、《おいしい》と、字が出た。
リュウジは、ほっとした。
そして、お母さんのほうを見た。
お母さんは、赤ちゃんを見ていなかった。
リュウジの頭の上を、じっと、見ていた。
(つづく)