1 開かない鍵はない
一つめは、鍵師のシリンダの灯りだった。
シリンダは、町でいちばんの鍵師だ。
お店の前に、大きなかんばんを出している。
《開かない鍵は、ない》
じっさい、シリンダに開けられない鍵は、なかった。
金庫も、古いトランクも、なくした鍵の自転車も。
シリンダは、年をとって、手が少しふるえるようになっていた。
でも、それは、だれにも言わなかった。
一日目。
小さな男の子が、古い木の箱を持って、お店に来た。
小さな鍵穴のついた、手のひらくらいの箱だ。
「これ、あけて」
二日目。
シリンダは、近所の子のカギオを助手にして、箱を調べた。
箱のうらに、小さな印が、ほってあった。
――シリンダの、昔の弟子の印だった。
何十年も前に、大げんかをして、出ていった弟子。
三日目から六日目。
箱は、その弟子の、子どもの持ちものだった。
中には、写真が入っているらしい。
男の子は、急に、箱を持って帰ろうとした。
「お父さんには、ないしょなの」
シリンダは、弟子に、連絡をした。
何十年ぶりに。
弟子も、その箱を、さがしていた。
七日目から十日目。
シリンダは、弟子と、男の子の話を、べつべつに聞いた。
弟子は、昔のことを、話した。
「親方は、ぼくの手紙を、勝手にあけて読んだ。だから、出ていったんです」
シリンダは、はっとした。
おぼえていた。
鍵のかかった引き出しを、「開かない鍵はない」と言って、あけてしまったこと。
シリンダは、先に、あやまった。
それから、工具を、つくえに置いた。
「あけるかどうかは、この子が、決めることだ」
十一日目。
シリンダは、工具を使わなかった。
かわりに、紙に、鍵穴の形だけを、かいて、男の子にわたした。
「この形に合う鍵を、おまえが作れば、あく。作らなければ、あかない」
ゆうべ、シリンダの封筒が、もどってきた。
かんばんと、ちがうことを、言う。 シリンダ
今日。
男の子が、箱を持って、来た。
それから、言った。
「やっぱり、あけて」
シリンダの手が、一しゅん、工具のほうへ、のびかけた。
あけられる。
かんたんだ。
中の写真を、見てみたい。
――でも。
シリンダは、手を、ひざの上にもどした。
それから、しずかに、言った。
「あけません」
声が、少し、ゆれた。
「これは、おまえと、おまえのお父さんの箱だ。あけるときは、二人で、あけなさい。鍵は、これだ」
シリンダは、紙にかいた鍵穴の形と、小さな、けずりかけの鍵を、男の子の手に、わたそうとして――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、手順書をひらいた。
あの子が開けない引き出しは、開けないままにすること。
私は、机の、いちばん下の引き出しを見た。
あの一行が入っている、引き出しだ。
「そこに、誰か、いますか」
あの紙は、だれかが、そっと、しまったものだ。
私は、それを、あけて、読んで、うつして、そのうえ、封筒にまぜて、どこかの世界へ送ってしまった。
シリンダの、昔の失敗と、同じだ。
私は、いちばん下の引き出しを、そっと、しめた。
今夜は、あけなかった。
2 ほかの灯り
人の、せなかの荷物が見える、ミツバ。
つかれた人のせなかには、見えない大きな荷物が、のっている。
お母さんのせなかの荷物は、いつも、山のように重そうだった。
ミツバは、それを、軽くしてあげたかった。
さいごの日、二人で話して、荷物は、ほんの少しだけ、へった。
「まだ、重いね」と、お母さんは、わらって言えた。
ミツバが、お母さんの肩に、手を置く――とちゅうで、とぎれていた。
引っこし屋さんの、ショウ。
どうしても、運べない、さいごの箱があった。
重いのではない。軽すぎて、中から、紙の音がする箱。
さいごの日、ショウは、箱を、新しい家の机の上に置いて、持ち主のほうに、向けた。
中身を、見てみたかった。でも、見なかった。
お客さんの手が、箱のふたに、かかる――とちゅうで、とぎれていた。
岸べを動かす、大きなぜんまいを巻く係の、コマキ。
ぜんまいが止まると、岸べも止まってしまう。
でも、ずっと巻きつづけると、海に出た舟が、帰ってこられなくなる。
さいごの日、コマキは、舟が帰ってくるのを待ちながら、大きな鍵を、みんなで、ささえた。
なわが、手の中で、ぴんと、はる――とちゅうで、とぎれていた。
3 しおり
仕事のとちゅうで、私は、手順書を読んでいた。
毎晩、少しずつ、読みなおしているのだ。
一日目の夜に、ぜんぶ読んだ。
でも、何回読んでも、新しく目にとまる行がある。
その夜、私は、ある行のとちゅうで、灯りの点滅に呼ばれた。
止める時間だ。
私は、読んでいた行の、ちょうど、まんなかに、しおりをはさんだ。
覚え絵の紙の、はしっこを切った、小さなしおりだ。
文が、とちゅうのまま。
灯りを止めて、もどってきて、しおりのところをひらいた。
十三日目からは、止まる日の朝に、知らせを出すこと。
あしたは、十三日目だ。
これまで、私は、止まる前の夜に、封筒を出していた。
止まる人は、ねる前に、残す言葉を書く。
でも、止まる日の一日は、知らないまま、ふつうにすごしていた。
あしたからは、ちがう。
朝に、知らせる。
「今夜、この世界は止まります」
止まる人は、今日がさいごの一日だと知って、その一日を、すごすことになる。
私は、こわくなった。
今日がさいごだと、先に知らせる。
それは、やさしいことなのだろうか。
それとも、ざんこくなことなのだろうか。
先に知らせたら、私は、その人のことを、ぜんぶ、分かった気になってしまわないだろうか。
「さいごの一日を、あげたんだ」と。
たなを見上げた。
あしたの夜、止まる灯りが、たくさん、ある。
その中に、宇宙人ゾグの灯りがあった。
ゾグは、あしたの朝、知らせを受けとる。
ゾグは、あしたを、どうすごすのだろう。
4 まだ止まらない灯り
シュウゾウおじいさんの灯りを、のぞいた。
おじいさんは、電話の前に、すわっていた。
受話器を、持ったり、置いたり。
いちばん古い友だちのゴサクに、生前葬の招待状を、送ったのだ。
返事が、まだ、来ていなかった。
――返事を、さいそくしようか。
「来てくれ。あやまるから。あやまったら、ゆるしてくれるだろう」
受話器を持ったところを、息子のケンイチに、見られた。
ケンイチは、何も言わずに、会場の図を、テーブルに、ひろげた。
「父さん。ここ、見て。話したくないお客さんが、だまって、すわっていられる席が、ないんだよ」
おじいさんは、受話器を、置いた。
5 待ってから
右の灯りを、読んだ。
――十二日目。
サヤが、夕ごはんのとき、言った。
「夏休みの教室、本の教室にした。お話を書く教室」
――太鼓じゃ、なかった。
おれが、きのう、風で申しこみ用紙をすべらせた、あの太鼓教室じゃなかった。
妻が、「いいじゃない」と言った。
サヤは、少し、てれくさそうに、ごはんを食べていた。
おれは、天井のすみで、自分の役目が、一つ、なくなった気がした。
サヤの先回りをして、道をととのえてやる役目。
もう、いらないのだ。
おれは、今日の風を、すぐには使わなかった。
待った。
サヤが、ごはんを食べおわるまで。
お皿を、流しにはこぶまで。
自分の部屋にもどって、ノートをひらいて、何か書きはじめるまで。
それから、ふう、と、吹いた。
サヤの、前がみに。
前がみが、ふわっと、ゆれた。
サヤが、顔を上げた。
ノートから、目をはなして。
まどのほうを、見た。
それから、天井のすみのほうを、見た。
――目が、あった気がした。
サヤは、何も言わずに、また、ノートにもどった。
でも、そのえんぴつの音は、さっきより、少しだけ、軽かった。
6 まだ、七時
左の灯りを、読んだ。
――十二日目。
リュウジは、おくさんを、駅まで送った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ! まかせといて!」
大きな声で言った。
駅の人が、ふりかえるくらい。
家に帰った。
娘と、二人きり。
ミルク。おむつ。だっこ。
ミルク。おむつ。だっこ。
娘が、泣く。
だっこする。
ねかせる。
泣く。
だっこする。
《ママ》《ママ》《ママ》
リュウジは、ぐったりして、時計を見た。
まだ、七時だった。
(つづく)