1 おじいちゃんと、悪いこと
一つめは、スズという女の子の灯りだった。
スズは、この春、お姉ちゃんになった。
弟が生まれたのだ。
小さくて、ふにゃふにゃで、よく泣く弟。
それからスズは、毎日、ほめられるようになった。
「スズちゃん、えらいねえ。いいお姉ちゃんだねえ」
おむつを持ってきたら、ほめられる。
弟をあやしたら、ほめられる。
ほめられるたびに、スズは、にこっとわらった。
――うれしくない、とは、言えなかった。
一日目。
スズは、ほめられるのがつらくなって、家をぬけだした。
川の堤防の、石だんに、ひとりですわった。
そこへ、おじいちゃんが、つえをついて、やってきた。
「スズ。ちょっと、悪いこと、しないか」
二日目。
おじいちゃんの言う「悪いこと」は、こうだった。
家族にないしょで、コンビニでプリンを買って、堤防で食べる。
それだけ。
スズは、プリンをえらぶとき、つい、弟の分まで、手に取った。
おじいちゃんが、言った。
「今日は、自分のだけだ。それが、悪いことの、決まりだ」
三日目。
二人は、神社に、五円玉を持って、おまいりに行った。
スズは、手を合わせた。
――弟なんか、いなくなればいい。
そうねがいそうになって、ねがえなかった。
弟のことは、きらいじゃない。ただ、少しだけ、休みたいだけだ。
おじいちゃんも、手を合わせていた。
何をねがったのか、聞いても、教えてくれなかった。
四日目。
スズは、おじいちゃんに、聞いた。
「なんで、悪いこと、さそってくれたの?」
おじいちゃんは、ぽりぽり、頭をかいた。
「わしもな、家で、たいくつなんだ。赤ちゃんが来てから、だれも、わしにかまってくれん」
スズは、ぷっと、ふき出した。
おじいちゃんも、仲間だったのだ。
五日目。六日目。
家に帰ると、お母さんが言った。
「スズ、弟、だっこしててくれる?」
スズは、いつもなら、すぐに「うん」と言う。
でも、その日は、言った。
「……今日は、いや」
弟が、泣くかもしれない。お母さんが、がっかりするかもしれない。
こわかった。
でも、お母さんは、何も言わずに、となりの家のおばさんに、電話をしてくれた。
七日目。
スズは、お母さんに、小さな声で言った。
「あした、おじいちゃんと、堤防で、プリンを食べる約束をしてるの。……行っても、いい?」
お母さんは、少しだまって、それから、台所の引き出しから、スプーンを二本、出してくれた。
ゆうべ、スズの封筒が、もどってきた。
あしたは、自分のプリンを、自分で食べる。 スズ
2 私の書いた、つづき
私は、スズの灯りを、今夜、止めなくちゃいけない。
スズは、今日、おじいちゃんと、プリンを食べる。
でも、そのあとは?
スズは、あしたも、あさっても、お姉ちゃんだ。
弟は、まだ、何年も、ふにゃふにゃだ。
私は、たまらなくなって、紙を一まい、出した。
スズの、つづきを、書いてあげよう。
止まる前に、せめて、紙の上だけでも。
スズは、プリンを食べて、元気になりました。
それからスズは、だれよりもやさしい、りっぱなお姉ちゃんになりました。
弟をだっこして、子もり歌を歌って、みんなから「いいお姉ちゃんだね」と言われました。
スズは、しあわせでした。
書きおえて、読みなおした。
――ちがう。
これは、スズが、休みたかった役だ。
「いいお姉ちゃん」。
ほめられるたびに、うれしくないと言えなかった役。
私は、スズに、その役を、もう一回、おしつけている。
スズが、自分でえらんだ言葉は、「自分のプリンを、自分で食べる」だけなのに。
私は、手順書をひらいた。
一日目の夜に読んだ、あの行を、さがした。
あの子に、いい子の役をさせないこと。
私は、自分の書いた紙を、うらがえした。
字が、見えないように。
それから、スズの灯りに、手をかざした。
3 堤防のプリン
堤防の石だんに、スズと、おじいちゃんが、ならんですわっていた。
ひざの上に、プリンが、一つずつ。
スプーンは、お母さんが出してくれた、二本。
「では」
おじいちゃんが、おごそかに言った。
「悪いことを、はじめる」
二人は、せーので、ふたを、ぺりぺりっと、あけた。
そのとき。
遠くの家のほうから、赤ちゃんの泣き声が、聞こえた。
弟の声だ。
スズの体が、ぴくっと、動いた。
立ち上がりかけた。
行かなきゃ。お姉ちゃんなんだから。
おじいちゃんが、スズのそでを、そっと、つまんだ。
何も言わなかった。
ただ、つまんでいた。
泣き声は、しばらくつづいて、それから、やんだ。
お母さんが、あやしてくれたのだ。
スズは、すわりなおした。
スプーンを、にぎった。
自分のプリンに、スプーンを入れた。
自分の分の、さいしょのひと口を、すくって――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、両手で包んだ。
さいごに、光の中に、川の堤防の石だんが見えた。
石だんの上に、スプーンが二本、ならんでいた。
4 開きぐせの辞書
二つめは――辞書だった。
国語の辞書だ。
アズサという小学生の、たなの上にある、辞書。
それが、この灯りの主人公だった。
辞書は、自分では動けない。
できるのは、ひとつだけ。
「開きぐせ」をつけることだ。
何度も開かれたページは、次も、そこで、ぱかっと開きやすくなる。
辞書は、その開きぐせを、ほんの少しだけ、自分でつけることができた。
アズサは、作文を書いていた。
友だちとけんかした話だ。
でも、何を書けばいいのか、分からなくて、つくえに、ふせてしまった。
辞書は、役に立ちたかった。
アズサが、言葉にこまっているのが、分かった。
だから、先回りして、「あやまる」のページに、開きぐせをつけた。
アズサは、ちがう言葉を、ひいた。
「にじむ」のページに、開きぐせをつけた。
アズサは、辞書を、とじた。
辞書は、あせった。
ぼくが、正しい言葉を、えらんであげたいのに。
でも、アズサは、自分で、書きなおしはじめた。
えんぴつの音が、かりかり、聞こえた。
ときどき、アズサは、辞書をひらいた。
一つの字だけ、たしかめて、また、作文にもどっていった。
アズサがえらんだ言葉は、辞書が思っていたのと、ぜんぜんちがった。
でも、アズサは、その作文を、声に出して、読みはじめた。
ゆうべ、辞書の封筒が、もどってきた。
――辞書も、封筒に書けるのだ。思うだけで、字になるから。
ぼくのページは、いたんでいるけど、使ってくれて、ありがとう。 こくごじてん
今日。
アズサは、作文を書きおえた。
それから、書きそんじた、くしゃくしゃの紙を、一まい、とった。
ていねいに、しわをのばした。
そして、それを、辞書の、いちばん使ったページに、しおりにして、はさんだ。
辞書は、はずかしかった。
いたんだページを、見られるのが。
でも、しおりのはさまったところは、なんだか、あたたかかった。
アズサの指が、次のページに、かかって――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、手順書をひらいた。
あの子の言葉が来るまで、答えを書かないこと。
私は、うらがえした紙を、見た。
スズの、つづきを書いた紙。
答えを、先に書いてしまった紙。
私は、その紙を、ていねいに、四つにおって、引き出しの、スズの玉のとなりに、しまった。
すてはしなかった。
失敗した日も、失敗したと、残す。
5 ほかの灯り
おしゅうとめさんと、うまくいかなかった、リエン。
亡くなった家族の、仏間の思い出を、知りたかった。
さいごの日、ほこりをはらった将棋の盤を、二人のあいだに置いた。
リエンは、将棋の負け方も、分からなかった。
おしゅうとめさんのセツの指が、こまに、ふれる――とちゅうで、とぎれていた。
病院で、歩く練習をする、クマガイさん。
昔、よく行った銭湯に、もう一度、行きたかった。
りがくりょうほうしのアオイさんが、いっしょに練習してくれた。
さいごの日、二人は、銭湯のえんとつが見える玄関で、昔借りたせんめんきを、お店に返した。
クマガイさんが、次の話をはじめる――とちゅうで、とぎれていた。
青いきつねの絵本を、さがしていた、お母さんのキリコ。
むかし、子どもに読んであげた絵本だ。題名も、作者も、わすれてしまった。
図書館のタエさんが、いっしょにさがしてくれた。
見つかった本は、キリコがおぼえていた話と、少しちがっていた。
さいごの日、キリコは、自分が子どもに話していた言葉も、本のよこに書きそえた。
タエさんが、次のページを、めくる――とちゅうで、とぎれていた。
6 まだ止まらない灯り
ゾグの灯りを、のぞいた。
今日は、星からの使者が、豆腐屋さんに、来た日だった。
使者は、ゾグと同じくらい、人間にそっくりだった。耳だけ、ちょっと、とがっていた。
おばあさんが、豆腐を、小さなお皿にのせて、出した。
使者は、ひと口、食べた。
それから、お皿を、おしもどした。
のこした。
ゾグは、ほっとした。
これで、地球は、見のがしてもらえる。
――なのに、なぜか、むねが、ちくっとした。
おばあさんの豆腐を、のこされたことが。
ゾグは、その「ちくっ」が、何なのか、分からなかった。
7 くつした
左の灯りを、読んだ。
――七日目。
娘の頭の上に、字が出た。
《くつした》
リュウジは、とくいそうに、おくさんに言った。
「ほら、この子、『パパのくつした、だいすき』だって」
ちょっと、話を、もった。
いや、かなり、もった。
娘は、リュウジのくつしたなんて、見ていなかった。
小さな指で、せんたくものの山を、さしていた。
犬の絵がついた、自分の、小さなくつしただった。
《わんわんの、くつした》
おくさんが、リュウジを見た。
リュウジは、目をそらした。
――ばれた。
――八日目。
リュウジの携帯電話が、鳴った。
会社の人からだった。
「いやあ、この前の企画、すごくよかったよ」
リュウジは、うれしくなった。
ほめられるのは、気持ちがいい。
電話を、なかなか、切らなかった。
「いやいや、そんな……それでですね……」
電話を切って、台所にもどると、
おくさんと娘は、もう、ごはんを食べおわっていた。
テーブルの上に、リュウジのお茶わんだけが、ぽつんと、のこっていた。
ごはんは、つめたくなっていた。
8 だまって、すわる
右の灯りを、読んだ。
――八日目。
サヤは、朝から、ずっと、泣いていた。
きのう、プリンを食べて、「おいしいって。誰に言えばいいの」と言ってから、ずっと。
学校も、休んだ。
おれは、天井のすみで、おろおろしていた。
また、わらわせたほうがいいのだろうか。
きのうみたいに、おれの失敗の話で。
風を、どこかに吹いて。
妻は、何もしなかった。
わらわせようとも、しなかった。
なぐさめる言葉も、言わなかった。
ただ、サヤのとなりに、だまって、すわっていた。
ずっと。
お昼になっても。
おれは、今日の風を、どこにも吹けなかった。
――いや、吹いた。
夕方、和室のすみの、ほこりをかぶった将棋盤に、ふう、と吹いた。
ほこりが、ふわっと、光の中にまった。
それだけだった。
サヤは、泣きながら、その光の中のほこりを、ぼんやり見ていた。
夜。
サヤが、ぽつんと言った。
「……あした、学校、行く」
妻は、「うん」とだけ、言った。
――おれは、分かった。
わらわせるだけが、そばにいることじゃない。
だまって、となりに、すわっていることも、あるのだ。
――頁は、そこで、今日の分がおわっていた。
私は、机の向こうの椅子を見た。
だれもすわっていない椅子。
でも、今夜は、その椅子が、だまって、となりにすわってくれている気がした。
(つづく)