1 手ぶくろの人
一日目の夜、私は、ある灯りを読んで、思わず頁に向かって言った。
「それは安すぎるって!」
三日かけてあんだ手ぶくろに「百円」と値札をつけて、そのあと「五十円」に書きなおしちゃう人。
アヤメという女の人だ。
今夜、その灯りが止まる。
ゆうべ、アヤメの封筒がもどってきた。
自分で決めた値段を、自分の口で言いたい。 アヤメ
私は、アヤメの灯りに、手をかざした。
アヤメは、手作りの小さなお店をはじめたばかりだった。
あみもの。ししゅう。布のブックカバー。
どれも、ていねいに作ってある。
でも、アヤメは、値段をつけるのが、とてもへただった。
高くしたら、だれも買ってくれない気がする。
売れなかったら、こわい。
だから、安く、安く、つけてしまう。
一日目。
となりで野菜を売っているおばさんが、アヤメの手ぶくろを手に取って、聞いた。
「これ、作るのに、何時間かかったの?」
「……三日、くらい」
「三日で、五十円?」
おばさんは、目をまるくした。
「あんた、一時間、一円もしないじゃないの」
二日目。
アヤメは、勇気を出して、値段を上げた。
手ぶくろ、千円。
お客さんが、値札を見て、「高いわね」と言って、行ってしまった。
アヤメは、あわてて、値札を五十円にもどそうとした。
そのとき、さっきのお客さんが、もどってきた。
「ねえ、これ、なおせる?」
手に持っていたのは、ほつれたマフラーだった。
アヤメは、その場で、ささっとなおした。
お客さんは、目をまるくした。
「上手ねえ。いくら?」
アヤメは、「……いりません」と言ってしまった。
三日目。
今度は、すれて、ぼろぼろになった本のカバーを持ってきた人がいた。
アヤメは、ていねいに、新しい布でなおした。
やっぱり、お金の話は、できなかった。
でも、その人は言った。
「これと同じの、うちの子にも作ってほしいの」
今日。
アヤメは、お店の前に、新しい札を、一まい、置いた。
値札じゃない。
名前の札だ。
《アヤメの手しごと》
自分の名前を、お店に出したのは、はじめてだった。
お客さんが来た。
きのうの、子どもにブックカバーがほしいと言った人だ。
「すてきな名前ね。それで、ブックカバー、いくらかしら」
アヤメは、目を上げられなかった。
ほめられると、どこを見ていいのか、分からなくなる。
でも、アヤメは、ゆうべ、封筒に書いた。
自分で決めた値段を、自分の口で言いたい。
アヤメは、息をすった。
それから、自分で決めた、はじめての値段を――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、灯りを見つめた。
いくらと、言ったのだろう。
五十円じゃ、ないといいな。
アヤメが決めた値段なら、いくらでも、いい。
私は、両手で包んだ。
さいごに光の中に見えたのは、小さな、毛糸の帽子だった。
赤ちゃんがかぶるくらいの、小さな帽子。
アヤメの店のたなに、ちょこんと、のっていた。
2 休めない牧場
二つめは、ワタルの灯りだった。
ワタルは、牧場の、代わりの人だ。
牧場の夫婦が、一回も休みを取ったことがない、と聞いた。
牛は、毎日、ごはんを食べる。毎日、ちちをしぼる。
だから、牧場の人は、一日も休めない。
「ぼくが、代わりにやります。二人で、温泉にでも行ってきてください」
ワタルは、胸をはって言った。
「かんたんですよ、牛の世話くらい」
一日目。
夫婦が出かけたあと、ワタルは、牛の数をかぞえた。
二十頭。
もう一回かぞえた。十九頭。
もう一回。二十一頭。
――かぞえるたびに、ちがった。
二日目。
一頭、にげた!と思って、ワタルは、夜の牧場を走りまわった。
近所の人に電話をすれば、手伝ってもらえる。
でも、「かんたんですよ」と言ったてまえ、電話できなかった。
そして、やっと見つけた、くらやみの中の、牛のかげ。
――牧場のご主人だった。
心配で、温泉から、こっそり、もどってきていたのだ。
三日目。
ワタルは、ご主人のそでをつかんで、たのんだ。
「こんどこそ、ちゃんと、休んでください。おくさんと、宿にとまってきてください」
言いながら、ほんとうは、ワタルも、こわかった。
一人で、ほんとうに、できるだろうか。
そでを、なかなか、はなせなかった。
ご主人は、わらって、メモを一まい、ワタルにわたした。
となりの家の、電話番号だった。
ゆうべ、ワタルの封筒がもどってきた。
できないことは、できないと言う。となりに、たのむ。 ワタル
今日。
朝の四時。まだ、まっくらだった。
ワタルは、メモの番号に、電話をかけた。
「あの……ちちしぼり、一人じゃ、間に合いません。手伝ってもらえませんか」
となりのおじさんは、「おう、そう来ると思ってた」と言って、すぐに来てくれた。
二人で、ならんで、ちちをしぼった。
お昼すぎ。
牧場の電話が、りりりん、と鳴った。
宿からだった。
受話器の向こうから、おくさんの、わらい声が、聞こえて――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、手順書をひらいた。
ワタルの世界に、にている行が、ある気がしたのだ。
あった。
管理人にも、休む夜をつくること。
私は、その行を、三回、読んだ。
管理人。
――それは、私のことだろうか。
一日目の夜、手順書の一ページ目には、「この部屋で読む係へ」と書いてあった。
でも、この行には、「管理人」と書いてある。
この部屋で、灯りを読んで、止めて、言葉を聞く係。
それを、この手順書を書いた人は、「管理人」と呼んでいるのかもしれない。
そして、その管理人にも、休む夜をつくれ、と。
私は、なんだか、くすぐったくなった。
だれかが、私の休みのことまで、考えていた。
まだ、会ったこともない、だれかが。
私は、机の向こうの、だれもすわっていない椅子を見た。
一日目から、ずっと、そこにある椅子。
ななめに、そっぽをむいて置いてある。
私は、立ち上がって、その椅子を、くるりと、机のほうへむけた。
だれかが、すわってくれそうな気がした。
いつか、休む夜に。
それとも、だれかが、私の話を聞きに来る夜に。
3 ほかの灯り
盆踊りで、太鼓をたたく、ヒビキ。
好きな女の子のナツメに、かっこいいところを見せたかった。
おばあちゃんの席は、会場のいちばんはしっこ。
ヒビキは、はじめ、おばあちゃんのおむかえを、めんどうくさがっていた。
さいごの日、ヒビキは、おどりの輪の中で手をたたくおばあちゃんのリズムに合わせて、太鼓をたたきなおした。
ナツメが、となりのばちに、手をのばす――とちゅうで、とぎれていた。
島の、最後の一人の小学生、ミサキ。
体験入学に来たワカバに、島の学校を好きになってほしくて、遊びの予定を、山ほど作った。
ワカバは、つかれて、船着き場へにげた。
さいごの日、二人は、つくえを二つならべて、いつもの算数の問題をといた。
となりから、消しゴムが、ころころと、ころがってくる――とちゅうで、とぎれていた。
恋人をさがす、ススム。
自分の紹介文を、どんどん、もっていた。「趣味はサーフィン」。ほんとうは、泳げない。
さいごの日、雨の中で、はじめて会ったミズホに、「次は、どこに行きたいですか」と聞いた。
一本しかないかさを、どっちにかたむけるか、まよう――とちゅうで、とぎれていた。
世界一の会社の社長、ハジメ。
何でも持っているのに、いっしょにかんぱいする人が、いなかった。
つくえのおくに、昔の自分が書いた、あけていない封筒があった。
中には、「小さなお店の、お手伝いがしたい」と書いてあった。
さいごの日、ハジメは、小さなお店のために、役に立つかどうか分からない案を、手書きで書いた。
店主さんが、返事を書きはじめる――とちゅうで、とぎれていた。
坂道で、いつも同じ子に追いぬかれる、マヒロ。
追いついて、「おはよう」と言いたかった。
さいごの日、坂の下で、マヒロは、自分から手を上げた。
声が、うらがえった。
チヒロが、マヒロの名前を呼びかける――とちゅうで、とぎれていた。
私は、ひとつずつ、両手で包んだ。
玉と、封筒が、ならんでいった。
4 もう一つの、明るい灯り
仕事がおわって、私は、いすの上に立った。
いちばん上のたなの、まんなか。
ならんで光る、二つの灯り。
右は、ゆうべ読んだ、風のお父さんの家。
今夜は、左の灯りに、手をかざした。
――赤ちゃんの頭の上に、字が見える男の話だった。
二月の、冬のおわりの朝。
リュウジは、生まれて十か月の娘を、だっこしていた。
娘が、リュウジの鼻を、つかんだ。思いきり。
「いててて」
すると、娘の頭の上に、ぽん、と字がうかんだ。
《これ、とれる?》
リュウジには、赤ちゃんの頭の上にうかぶ字が見える。
テレビの字幕みたいに。
娘が思ったことが、声になる前に、字になって、うかぶのだ。
「とれません。パパの鼻は、とれません」
《とれる》
「とれないって」
おくさんが、わらいながら、お茶を置いた。
「はいはい、また見えたのね。ねえ、ネネ」
ネネ、というのは、おくさんの、赤ちゃんの呼び方だ。
おくさんには、字は見えない。
でも、リュウジに見えることは、知っている。
信じてくれている、と思う。たぶん、半分くらいは。
おくさんは、娘に、子もり歌を歌いはじめた。
へたくそな、でも、やさしい声で。
娘の頭の上に、字が、ぽわん、とうかんだ。
《ママのこえ、すき》
リュウジは、それを、おくさんに言いたかった。
――ねえ、この子、きみの声が好きだって。
でも、言えなかった。
おくさんには、字が見えない。
「ほんとうに?」と聞かれたら、見せられない。
しょうこが、ない。
リュウジは、その一行を、のみこんだ。
かわりに、テーブルのはしにある、小さなノートに、こっそり書いた。
娘の字を書きうつすための、リュウジの帳面だ。
リュウジの母が、言っていた。
道の向かいの家に住む、リュウジのお母さんだ。
「その字はね、その子が、はじめて言葉をしゃべった日に、消えるのよ」
だからリュウジは、今のうちに、ぜんぶ、書きうつしておきたいのだ。
その夜。
娘の頭の上に、字がうかんだ。
《きらきら、ない》
おくさんが、ぱっと、左手を見た。
「……ゆびわが、ない」
二日目。
リュウジは、娘の字を手がかりに、ゆびわをさがした。
《ソファ》《した》《ころころ》
ソファの下に、うでをつっこんだ。
出てきたのは、一円玉。
また、一円玉。
さらに、一円玉。
「なんで、こんなに一円玉が……」
あせって、あせって、四まい目の一円玉のあとに――ゆびわが、出てきた!
「あった! ほら、あった! この子の字のおかげで!」
リュウジは、とくいそうに、娘の顔を見た。
ほめてほしかった。すごいね、パパ、と。
娘は、リュウジの顔を、ちらっとも見なかった。
リュウジが、ゆかにならべた一円玉のほうへ、手をのばしていた。
《ぴかぴか》
三日目。
リュウジは、せきが出るたびに、部屋を出ていった。
ごほっ、ごほっ。
赤ちゃんに、うつしたくない。
――それもある。でも、ほんとうは、ちがう。
部屋を出たあと、どういう顔でもどればいいのか、分からなくて、そのまま、もどらなかったのだ。
何回も。
その夜、リュウジは、おくさんに言った。
「……せきが出るたびに、にげてた。もどる、きっかけも、にげてた」
おくさんは、少しだまって、それから言った。
「じゃあ、あしたのごはん、作って。かたづけまで、ぜんぶ」
四日目。今日。
「まかせろ」
リュウジは、胸をはった。
娘のごはんを、一人で食べさせる。
やわらかくにた、おかゆ。つぶしたかぼちゃ。
スプーンを、口もとに持っていく。
娘は、ぷいっと、横を向いた。
もう一回。ぷいっ。
スプーンを持つ手を、ぺしっと、たたかれた。
かぼちゃが、とんだ。
リュウジのシャツに、ついた。
かべにも、ついた。
《やだ》《やだ》《やだ》
おくさんを、呼ぼうか。
――いや、「まかせろ」と言ったのだ。
呼べない。
そのとき、娘が、リュウジのそでを、ぐいっと引っぱった。
下へ。ゆかのほうへ。
《ここ》
リュウジは、よく分からないまま、ゆかに、すわった。
娘と、同じ高さに。
娘は、にこっとわらった。
それから、自分から、口を、あーん、とあけた。
スプーンを入れると、もぐもぐ、食べた。
《おいしい》
「……食べた」
リュウジは、ほっとして、力がぬけた。
「なんだ。いすの上じゃなくて、ゆかがよかったのか。いっしょの高さが、よかったのか」
それから、立ち上がろうとして、気がついた。
おしりが、つめたい。
ゆかにとんだ、かぼちゃの上に、すわっていたのだ。
リュウジのズボンのおしりに、かぼちゃが、べったり、ついていた。
台所の入り口で、おくさんが、おなかをかかえて、わらっていた。
いつから見ていたのだろう。
――私も、わらった。
いすの上で、声を出して、わらった。
この部屋に来て、いちばん、わらったかもしれない。
私は、いすからおりた。
机のほうをむいた椅子が、目に入った。
だれもすわっていないけれど、今夜は、なんだか、だれかといっしょにわらった気がした。
右の灯りは、死んだお父さんが、風になって家にいる話。
左の灯りは、若いお父さんが、赤ちゃんの字を読む話。
どちらも、お父さんの話だ。
どちらも、いちばん明るい。
でも、ぜんぜん、ちがう話だ。
片方は、泣きたくなる話で、片方は、おなかがいたくなるほど、わらえる話。
(つづく)