1 もどってきた封筒
ゆうべ、私は、封筒を出した。
今夜止まる灯りの、ひとつひとつへ。
あしたの夜、この世界は止まります。
残したい言葉があれば、この紙にどうぞ。
封筒を灯りに近づけると、すうっと、光の中へすいこまれていった。
ちゃんと、とどいたのだ。
それから、ふしぎなことが起きた。
朝になると、封筒が、ひとつ、またひとつ、机の上にもどってきたのだ。
中には、紙が入っていた。
あの人たちが書いた、「残す言葉」だった。
私は、一まいずつ、ひらいた。
からい麺を、たのみすぎました。すみません。 タイガ
わからない、と、言えなかった。あしたは、言う。 カヤ
かあちゃんに、会いたい。 ジュン
一回でいいから、思いきり打ちたい。 ナナセ
どれも、短かった。
字が、ふるえているのもあった。
消しゴムで、何回も消したあとがあるのもあった。
私は、ジュンの紙を、じっと見た。
かあちゃんに、会いたい。
それだけ。
今夜で世界が止まるのに。
さいごの言葉なのに。
もう少し、何か、ないのだろうか。
私は、えんぴつを持った。
ジュンの言葉の下に、書き足してみた。
今まで、ありがとう。ぼくは、しあわせでした。みんなのことを、わすれません。
――りっぱな、お別れの言葉になった。
これなら、だれが読んでも、きれいな、さいごだ。
私は、それを、読みなおした。
ちがう、と思った。
これは、ジュンの言葉じゃない。
私が、こうだったらいいと思って、書いた言葉だ。
ジュンは、「しあわせでした」なんて、書いていない。
ジュンが書いたのは、「かあちゃんに、会いたい」だけだ。
私は、消しゴムで、自分の書いた字を、ぜんぶ消した。
ていねいに。ジュンの字は、消さないように。
紙には、また、ジュンの一行だけが残った。
かあちゃんに、会いたい。 ジュン
私は、その紙を、封筒にもどした。
短いまま。
2 霧のカヤ
一つめは、霧の道の、見習いの女の子、カヤの灯りだった。
カヤの住む町は、いつも、霧につつまれている。
まっ白で、自分の足もとも見えないくらい。
だから、町と町のあいだには、「霧の道の案内人」がいる。
旅の人を、霧の中、町まで連れていく仕事だ。
カヤは、その見習いだった。
一日目。
カヤは、はじめて、ひとりで旅の商人たちを案内した。
「こっちです」
ずんずん、進んだ。
――ほんとうは、ちょっと、道が分からなくなっていた。
でも、言えなかった。
案内人が「分からない」なんて言ったら、もう、だれもついてこなくなる。
そのとき、パンのにおいがした。
町のパン屋さんのにおいだ。
――後ろのほうから。
進んでいる方向と、反対から。
二日目。
カヤたちは、石の橋の下に来た。
橋の下で、声が、わんわん、はねかえって聞こえた。
「こっちです」と言うと、「こっちです……こっちです……」と、だれかが、まねしているみたいに聞こえた。
カヤは、こわくなった。
足は、「ここ、ちがう」と言っている。
でも、カヤは、むねをはって進んだ。
案内人は、まよわない。そういうことにしたかった。
先頭の荷馬が、ぴたりと、止まった。
馬のほうが、分かっていたのだ。
ゆうべ、カヤは、封筒に書いた。
「わからない、と、言えなかった。あしたは、言う」
今日。
カヤは、石の橋の手すりに、手をあてた。
つめたい石。ざらざらした手ざわり。
この橋は、町へむかう道の橋じゃない。
一本、まちがえていた。
カヤは、ふりかえった。
霧の中に、商人たちの顔が、ぼんやりならんでいる。
カヤは、息をすった。
「……ごめんなさい。道を、まちがえました」
声が、小さかった。
でも、ちゃんと、言えた。
「回り道をします。それから――」
カヤは、はじめて、後ろにむかって、聞いた。
「このあたりの道、知っている人、いますか?」
霧の中は、しんとしていた。
それから、いちばん後ろのほうから、声がした。
年をとった、商人の声だった。
「わしは、昔、この道を――」
――頁は、そこで、とぎれていた。
灯りが、ちか、ちか、と息をしはじめた。
私は、両手で包んだ。
さいごに、光の中に、石の橋の、つめたい手すりが見えた。
3 ジュンの、画用紙
二つめは、ジュンの灯りだった。
ジュンは、お金がなかった。
仕事をさがして、大きな町の面接に行った。
面接で、何も言えなかった。
だまったまま、おわった。
家に帰るお金も、なかった。
だからジュンは、画用紙に、大きく書いた。
《西へ》
道ばたに立って、それをかかげた。
ヒッチハイクだ。
通りかかる車に、乗せてもらって、少しずつ、家に帰る。
お母さんには、電話で言ってあった。
「仕事、順調だよ」
うそだった。
一日目。
車を止めてくれたおじさんが、聞いた。
「どこまで行くんだ?」
ジュンは、「西へ」と答えた。
おじさんは、首をふった。
「そうじゃなくて。なんで、帰るんだ?」
ジュンは、答えられなかった。
二日目。
次の車の運転手さんに、また聞かれた。
ジュンは、きのうのおじさんから聞いた話を、自分の話みたいにして、言ってしまった。
「親が、病気で……」
運転手さんは、だまって聞いていた。
それから、言った。
「その話をしたおじさん、おれも乗せたことがある。道ばたで、泣いてたよ」
ジュンは、はずかしくて、顔が熱くなった。
自分の話を、しなかった。
ほかの人の話を、借りた。
ゆうべ、ジュンは、封筒に書いた。
「かあちゃんに、会いたい」
今日。
ジュンは、画用紙を、うらがえした。
《西へ》の、うらがわ。まっ白なところ。
そこに、ペンで、書いた。
《かあちゃんに、会いたい。仕事は、だめだった。帰ってもいい?》
ジュンは、道ばたの公衆電話に、十円玉を入れた。
画用紙を、見ながら。
プルルル、と、呼び出し音がした。
プルルル。
プルルル。
呼び出し音が、ぷつっと切りかわって――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、ジュンの灯りを、しばらく見ていた。
お母さんが、電話に出たのか、出なかったのか。
私には、読めない。
でも、ジュンは、画用紙のうらに、ほんとうのことを書いた。
それは、読んだ。
私は、両手で包んだ。
さいごに見えたのは、画用紙の、うらがわの字だった。
4 からすぎる麺
三つめは、コンビニの店員、タイガの灯りだった。
これは、読みながら、何回も、わらってしまった。
タイガは、自分は町のことがよく分かっている、と思っていた。
何が売れるか、ぴたりと当てられる、と。
そこで、ものすごく、からい、カップ麺を注文した。
「げきから・地獄の一丁目」という名前の麺だ。
箱で、どーんと。
一日目。
――一つも、売れなかった。
なぜなら、この店の常連さんは、ほとんどが、おじいちゃんと、おばあちゃんと、小さな子どもだったから。
だれも、からいものが、食べられなかった。
二日目。
タイガは、考えた。
ただ「からい」と書いても、売れない。
だから、札を、いろいろ作った。
《寒い夜に》《罰ゲームに》《目が覚めない朝に》《きらいな上司へのおみやげに》
――売れた!
学生が、罰ゲーム用に、まとめて買っていった。
タイガは、ガッツポーズをした。
そのとき。
店長が、にこにこしながら、言った。
「売れてるみたいだから、追加で、十箱、たのんどいたよ」
タイガは、ガッツポーズのまま、かたまった。
ゆうべ、タイガは、封筒に書いた。
「からい麺を、たのみすぎました。すみません」
今日。
タイガは、新しい札を、もう一まい、作った。
《からいものが食べられない方には、おすすめしません。ほんとうに、からいです。むりしないでください》
売れなくても、いい。
食べられない人に、むりに売るのは、やめる。
そのとき、店の前に、トラックが止まった。
追加の、十箱だ。
運転手さんが、荷台のとびらに、手をかけて――
――頁は、そこで、とぎれていた。
私は、声を出して、わらった。
わらいながら、灯りを包んだ。
さいごに光の中に見えたのは、おでんの、湯気だった。
なぜ、からい麺じゃなくて、おでんなのかは、分からない。
5 ほかの灯り
仕事帰りに、バッティングセンターで思いきりバットをふりたかった、ナナセ。
さいごの日、光る的ばかり見るのをやめて、飛んでくる球を、まっすぐ見た。
ふりだしたバットが、球にとどく――とちゅうで、とぎれていた。
大きな氷を、都までとどけたかった、氷の運び手のヒサメ。
とちゅうで、暑さで動けなくなった子に、氷をけずって、水をあげた。
氷は、へっていった。
さいごの日、その子のお父さんが、近道を案内してくれた。
氷をつつみなおすヒサメの手に、べつの手が、かさなる――とちゅうで、とぎれていた。
発明の国で、発明が一つもできない、デン。
でも、困っている人の話を聞くのが、とてもうまかった。
さいごの日、困っている人たちが集まるたき火を、たずねていった。
若い人が、デンの書いたメモを、ひろげる――とちゅうで、とぎれていた。
おまけのポイントをためて、家族旅行に行きたかった、お母さんのサユリ。
やっと、旅費がたまった。
でも、息子が行きたかったのは、遠い島じゃなかった。
家族みんなで、どこかに「とまる夜」がほしかったのだ。
さいごの日、家族みんなで、カレンダーのまわりに集まった。
行き先の、さいしょの一文字を書く――とちゅうで、とぎれていた。
私は、ひとつずつ、両手で包んだ。
玉が、ことん、ことん、と、ふえた。
ひとつひとつの玉のとなりに、その人の「残す言葉」の封筒を、ならべて入れた。
6 まだ止まらない灯り
止める仕事がおわってから、私は、一日目に読んだ宇宙人のゾグの灯りを、のぞいた。
まだ、明るい。まだ、止まらない。
ゾグの部屋に、星から、返事がとどいていた。
いつもの《了解。引き続き調査せよ》じゃなかった。
《報告があまりにひどいので、ほんとうにそんなにひどい星か、使者を送って、たしかめる。調べる場所は、報告でいちばん悪口の多かった店とする》
ゾグは、画面の前で、かたまった。
いちばん悪口の多かった店。
――あの、豆腐屋さんだ。
ゾグの顔が、見たことのない色になった。
緑でも、青でもない。
宇宙人が、青ざめると、ああいう色になるらしい。
7 いちばん明るい、二つの灯り
仕事がおわって、私は、たなを見上げた。
きのうより、また、すかすかになった。
でも、まだ、灯りは、たくさんある。
その中に、ずっと気になっている灯りが、二つあった。
いちばん上のたなの、まんなか。
ならんで光る、二つの灯り。
ほかのどれよりも、明るい。
一日目の夜から、ずっと、いちばん明るかった。
いちばん明るいということは、いちばん、たくさん読まれているということだ。
止まるのは、いちばん、あと。
だから私は、ずっと、後回しにしていた。
今夜は、読んでみよう。
私は、いすの上に立って、右がわの灯りに、手をかざした。
――五月一日。朝。
おれは、台所の天井のすみにいた。
いた、としか言いようがない。体はない。手も足もない。上から見ている、という感じだけがある。
きのうの夜、おれは、死んだ。
テーブルでは、娘のサヤが、スープのカップを、両手でつつんでいた。
小学六年生。この春、十二歳になったばかりだ。
妻は、流しの前に立っている。水が、出しっぱなしだ。止めない。
おれは、何か、してやりたかった。
ふう、と吹いた。
息なんかないのに、吹いた、と思った。
スープの湯気が、すうっと、横になびいた。
サヤが、湯気を見た。
それから、スープを見たまま、小さな声で言った。
「パパ、スプーン」
いつもの朝の、いつもの言い方だった。
スプーンを出すのは、おれの係だった。
言ってから、サヤは、口をとじた。
自分で立って、引き出しから、スプーンを出した。
「ほら、ここだ」
おれは言った。言ったつもりだった。
声は、どこにもとどかなかった。
もう一度、吹いた。
湯気は、まっすぐ上っていくだけだった。
もう、なびかなかった。
――風は、一日に、一回だけ。
あとで、おれは、それを知った。
動かせるのは、かみの毛と、湯気と、うすい紙くらい。
声は、とどかない。
物は、持てない。
そして、全部で、三十回。
二日目。
サヤが、宿題のプリントを前に、うんうん、うなっていた。
算数だ。答えは、分かる。おれには、分かる。
教えてやりたかった。
おれは、プリントのはしに、ふう、と吹いた。
ぴらっ、と、プリントがめくれた。
――それだけだった。答えは、教えられない。
サヤは、めくれたプリントを見て、それから、きょろきょろと、部屋を見まわした。
「……パパ?」
三日目。今日。
妻が、クローゼットから、おれの上着を出してきた。
いつも着ていた、グレーの上着だ。
片づけるつもりなのだろう。
――そうだ、早く片づけたほうがいい。見るたびに、つらくなる。
おれは、そう思った。
でも、妻は、上着を、たたまなかった。
上着を、ぎゅっと、だきしめた。
そのまま、ソファに横になって、ねむってしまった。
上着に、顔をうずめて。
おれは、天井のすみから、それを見ていた。
今日の風は、まだ、残っていた。
強く吹いたら、起こしてしまう。
おれは、できるだけ、できるだけ、そっと吹いた。
妻の目にかかっていた前がみが、一本だけ、すっと、よけた。
妻は、起きなかった。
――頁は、そこで、今日の分がおわっていた。
私は、いすからおりた。
手が、少し、ふるえていた。
死んだお父さんが、風になって、家にいる。
三十回だけ、風を吹ける。
この灯りは、いちばん明るい。
いちばん、あとまで、止まらない。
でも、いつかは、止まる。
その日、私は、この灯りを、自分の手で、包むのだろうか。
となりの、もう一つの明るい灯りが、ぽわん、と光っていた。
あしたは、あっちを、読んでみよう。
(つづく)