1 灯りの部屋
私の仕事場は、ちょっとへんな部屋だ。
かべが、ぜんぶ、たなになっている。
そのたなに、まるい灯りが、ずらーっとならんでいる。
下から上まで。天井のすぐ近くまで。
ぽわん、ぽわん、と、みかん色に光っている。
この灯りの一つ一つに、だれかの人生が入っている。
手をかざすと、その人の毎日が、本みたいに机の上にひらく。
私は、それを読む係だ。
今夜が、はじめての夜だった。
机の上には、えんぴつが一本。
それから、ぶあつい本が一さつ。表紙には、なにも書いていない。
机の向こうには、いすがもう一つある。だれもすわっていない。
まずは、この本を読むらしい。
一ページ目をひらくと、こう書いてあった。
この部屋で読む係へ。
あなたの仕事は、毎晩、灯りを止めることです。
止める順は、知らせのとおり。
十六日目に、知らせの別紙が届きます。
二十九日目の夜に、差出人の別紙が届きます。
それまでは、この冊子を、手元に。
灯りを、止める?
読む係なのに、止めるの?
それに「知らせのとおり」って、どの知らせだろう。
「別紙」というのは、あとからとどく、べつの手紙のことみたいだ。
「差出人」は、手紙を出した人のこと。
ということは、二十九日目の夜になれば、この本を書いた人がだれなのか、分かるのかもしれない。
二十九日。けっこう先だ。
私は本をとじて、目の前の灯りに、手をかざした。
2 宇宙人ゾグの、ないしょのこと
ひらいたのは、宇宙人の話だった。
名前は、ゾグ。
遠い星から、地球をしらべに来た調査員だ。
見た目は、人間とほとんど同じ。耳の形が、ちょっとだけとがっている。
ゾグの仕事は、毎晩、地球のことを自分の星へ報告すること。
その報告が、これだ。
《地球の空気は、にごっている。住む価値なし》
《地球の食べ物は、味がうすい。住む価値なし》
《地球の猫は、目があっても、あいさつをしない。住む価値なし》
悪口ばっかりだ。
でも、これには、わけがある。
もし「地球って、すごくいい星ですよ」と報告したら、どうなるか。
星のえらい人たちが「じゃあ、もらいに行こう」と、せめてくるかもしれない。
だからゾグは、地球を守るために、せっせと地球の悪口を書いているのだ。
星からは、ときどき短い返事が来る。
《了解。引き続き調査せよ》
それを読むたびに、ゾグは、ほーっと息をはく。
よし。今日も地球は、見のがしてもらえた。
そんなゾグには、毎朝かならず行く店がある。
商店街のはしっこの、小さな豆腐屋さんだ。
「おや、また来たのかい」
お店のおばあさんが、水の中から、白い豆腐をそっとすくう。
「べつに。ほかに開いている店がないだけだ」
ゾグは、むすっとした顔で言う。
うそだ。
となりのコンビニは、二十四時間あいている。
「今日のは、いい大豆だよ」
「豆腐の味など、どれも同じだ」
これも、うそだ。
ゾグは、この店の豆腐が、地球でいちばん好きだった。
つるんとして、ほんのりあまくて、しょうゆをちょっとたらすと、もう、たまらない。
でも、「好きだ」と言ったことは、一度もない。
好きなものを好きと言うのは、弱いところを見せるみたいで、こわいのだ。
おばあさんは「ふうん」と言って、ゾグの耳のあたりを、ちらっと見た。
それから、なんにも言わずに、豆腐をもう一丁、つつみに足してくれた。
その夜。
ゾグは、豆腐をひと口食べてから、報告を書いた。
《地球の豆腐は、味がしない。住む価値なし》
送信ボタンを、ぽちっ。
……やっぱり、おいしかったなあ。
そのときだった。
部屋のまんなかに、一まいの紙が、ふわっとあらわれた。
星からの返事じゃない。見たことのない字の形だった。
【転生管理より】重大な不具合が見つかりました。あなたは、ある一人の人物の転生者です。同じ人物の転生が、あなたを含めて百件確認されています。原因究明のため、読了の少ない世界線から順に、凍結を行います。
ゾグは、紙を三回読んだ。
むずかしい言葉ばっかりだ。
しかたがないので、ほんやく機にかけてみた。
ほんやく機は、ぴこぴこ鳴って、こう言った。
《かんたんに言うと――
あなたは、だれかの生まれかわりです。
同じ人の生まれかわりが、あなたもふくめて、百人います。
これは、おかしなことです。
なので、あまり読まれていない人から、じゅんばんに、止めていきます》
ゾグは、ほんやく機をじっと見た。
それから、紙をうら返した。うらは、まっ白だった。
「……生まれかわり?」
ゾグは、自分のとがった耳を、そっとさわった。
「私は、宇宙人だが?」
3 九十九の灯り
私は、ふき出してしまった。
わらい声が、部屋じゅうに、わんわんひびいた。
そのとたん。
たなの灯りが、ぜんぶいっしょに、ちかっ!とゆれた。
あわてて、となりの灯りに手をかざした。
相撲部屋の、新弟子さんの話だった。
名前は、バト。
海の向こうの、遠い国から来たばかりだ。日本の言葉は、まだ少ししか分からない。
でも体は、部屋でいちばん大きい。
そのバトが、ちゃんこなべの買い出しで、塩とまちがえて、砂糖を大ぶくろで三つも買ってきた。
ふくろの字が、読めなかったのだ。白くて、さらさらしていたから、塩だと思った。
「これは、なんだ」
親方が、ふくろを持ち上げた。
「……シオ、です」
「あまいぞ」
「……スミマセン」
バトの声は、体の大きさの十分の一くらいしかなかった。
「すみません」は、日本に来て最初に覚えた言葉だった。
親方は、はあ、とため息をついて、雪駄をはいた。
「行くぞ。店まで、いっしょにもどってやる」
夕方の商店街を、大きなせなかが二つ、ゆっさゆっさとならんで歩いていった。
バトは、歩きながら考えていた。
今夜は、ふるさとのお母さんと、やっと電話がつながる日だ。
砂糖の話は、ないしょにしておこう。
――そして、その話のさいごにも、あの紙があらわれた。
一字もちがわない、同じ知らせが。
次の灯りも、その次の灯りも読んだ。
三日かけてあんだ手ぶくろに「百円」と値札をつけて、そのあと「五十円」に書きなおしちゃう人。
「それは安すぎるって!」と、私は思わず、ページに向かって言った。
きりの道で、旅の人を町まで案内する、見習いの女の子。
まっ白で、なんにも見えない道なのに、その子は「こっちです」と、ずんずん進んでいく。
「生きているうちに、自分のお葬式をやる!」と言いだした、シュウゾウというおじいさん。
招待状に、自分で、でかでかと「わしを、ほめに来い」と書いていた。
私は、また、ふき出した。
どの話のさいごにも、同じ紙がとどいていた。
ということは、こういうことだ。
宇宙人も、お相撲さんも、手ぶくろの人も、きりの道の女の子も――
みんな、「同じ一人」の生まれかわり?
私は、たなを見上げた。
知らせには「百件」と書いてあった。百人、ということだ。
数えてみることにした。
いち、に、さん……。
一つずつ、指でさしながら、ていねいに数えた。
九十九。
あれ?
もう一回。
九十九。
たなのすきまを、のぞいてみた。
だれもすわっていないいすの下も、のぞいてみた。
天井のすみも、見上げてみた。
灯りが一つ、どこかにころがっていないかと思ったのだ。
どこにもなかった。
知らせは「百人」と言っている。
でも、この部屋には、九十九人ぶんの灯りしかない。
百人目は、どこにいるんだろう。
4 へんな決まりの本
灯りをよく見ると、明るさが一つずつちがっていた。
ぴかっと明るいのもあれば、いまにも消えそうな、うすぼんやりしたのもある。
たくさん読まれている人生ほど、明るいみたいだ。
だれが読んでいるのかは、分からない。この部屋の外の、ずっと遠くの、たくさんのだれかだ。
「あまり読まれていない人から、じゅんばんに、止めていきます」
ほんやく機の言葉を、思い出した。
それから、本の一ページ目。
「あなたの仕事は、毎晩、灯りを止めることです」
……止めるのは、私だ。
私は、あわてて本のつづきをめくった。
止め方が書いてあるかもしれない。
二ページ目から先には、一行ずつ、決まりが書いてあった。
台所のかべにはる「やることメモ」みたいな字だった。
ならび方は、ばらばら。大事そうな行と、どうでもよさそうな行が、となりどうしにならんでいる。
止める前に、残す言葉を聞くこと。別れを暗くしないこと。
あの子に、いい子の役をさせないこと。
私が書き始められなかった最後の頁は、読むあなたに託すこと。
「あの子」って、だれだろう。
「託す」は、たのんで、まかせる、ということだ。
だれかが、だれかに、何かをまかせようとしている。
行は、どこまでもつづいていた。私は、さいごまで読んだ。
でも、止め方は、どこにも書いていなかった。
書いた人の名前も、どこにもなかった。
さいごのページをめくった。
まっ白だった。一文字も書いていない。
「書き始められなかった」と書いた人がいる。
その人が書けなかったページが、これなのかな。
私は、まっ白なページの上に、えんぴつを置いた。
それから、なにも書かずに、また手に取った。
5 いちばん暗い灯り
たなの中で、いちばん暗い灯りをさがした。
すぐに見つかった。
いまにも消えそうな、ほそい光だった。
手をかざすと――
世界でいちばん強い男の話だった。
名前は、カナメ。
カナメは、食堂のお手伝いをしていた。
店のおくで、だれかが、お皿をつんだおぼんを、ひっくり返した。
がしゃーん!……とは、ならなかった。
お皿が十まい、いっぺんに宙にうかんだ、その次のしゅんかん。
十まいのお皿はぜんぶ、カナメのうでの中に、きれいにかさなっていた。
一まいも、われていない。
「さすがだねえ」と、店のおばさんが言った。
「ついでに、たのみがあるんだけど」
おばさんの孫が、あさっての運動会で走る。
ところが、その子は、とっても足がおそい。おそすぎて、もう走りたくないと言っている。
だから、となりを、いっしょに走ってやってほしい。
「まかせてくれ」
カナメは、むねをどんとたたいた。
走ることなら、世界のだれにも負けない。
夕方。
校門の前の横断歩道をわたったところで、その子は待っていた。
小さな男の子だった。
カナメは、校庭の白線の上に立った。
「よし、行くぞ。おれについてこい!」
男の子は、動かなかった。
「どうした」
「……走ると、すぐ、はあはあする」
「走ればなれる」
「はあはあするのが、いやなの」
カナメは、ちょっといらいらした。
自分なら、ここからゴールまで、まばたき一回でつく。
この子の息がととのうのを待つ時間が、ものすごく長く感じた。
「じゃあ、おれがおんぶして走ってやる。それなら一等だ」
男の子は、首を横にふった。
それから、しゃがんで、運動ぐつを両方ぬいだ。
そのくつを、うえこみのおくに、そーっとかくした。
まだ一歩も、走っていないのに。
カナメは、うえこみに手をのばした。
すると、男の子がさっとしゃがみこんで、かくしたくつの上に、ぺたんとすわってしまった。
小さな体で、くつを守るみたいに。
世界でいちばん強い男は、はだしの子どもの前で、どうしていいか分からなくなった。
ページは、そこで止まっていた。
そのさいごにも、あの知らせがとどいていた。
私は、灯りから手をはなした。
いちばん暗い灯り。
いちばん読まれていない人生。
ということは――明日の夜、私がさいしょに止めるのは、この灯りだ。
強い男は、かくされたくつを、どうするんだろう。
男の子は、走るんだろうか。
それを、まだ読んでいないのに。
(つづく)